足の親指

バタイユに「足の親指」という論文がある。このなかで彼は「器用な動きと確固とした性格を意味」する手の指と対比させた上で、足の指を「遅鈍と低級な愚劣さを意味」するものとして捉えているのだが*1、果たしてこの理解は正しいのだろうか。人類は二足歩行によって文明を獲得したのであり、それを可能ならしめている足の親指はむしろ知性の象徴とも言えるだろう。
思えば西洋風の生活はベッドで眠っているときを除けば、足の親指につねに何らかの負担を与えている。それに対して日本は足の親指に優しい。革靴と下駄、椅子と座布団を比較すれば、一目瞭然だろう。バタイユが足の親指を「下劣なもの」として描いているのは、彼が根っからの西洋人で、そこから逃れられなかった証拠ではないか。もっともオレが「足の親指」を読んだのは高校時代であり、当時の記憶が薄れてしまったいま、何か重要な論旨を忘却しているのかもしれないが。
オレは2週間ほど前からまさしく「足の親指」を怪我しており、外出するにも風呂に入るのにもひと苦労している。そしてようやく治りかけた今朝、自分の目の高さと同じくらいの位置から落下した洗剤パックのカドが足の親指を直撃し、すべてがリセットされてしまった。この怒りとやるせなさを少しでも鎮めるために、かような駄文をしたためた次第。