今後はカッパブックスなみに、誤字脱字のないブログを目指します!

誤字がどうの誤変換がこうのといった話をコメント欄で続けているうちに、機会があれば触れたいと思っていた韓国の出版事情について書きたくなった。
関川夏央『退屈な迷宮』によれば、韓国人の編集者は日本人の編集者からすれば、仕事らしい仕事をほとんどやらないそうだ*1。要するにあれを直せ、ここは不必要だ、そこは論理的な整合性がない、としつこく指摘する編集者が少なかったらしい。ゆえに当時の「韓国文学」には、冗長なものが多かったとのこと。
これをもってして韓国が日本よりも「後進的」だとするのは間違っている。日本ではすっかり廃れた儒教的な道徳が、隣国ではまだ生き残っていると解釈するほうが自然だろう。「儒教的であるのが、すなわち後進的なのだ」と反論されても困る。儒教が根付いている国では作家は「先生」で、「『先生』の文章に手を加えるのは畏れ多い」という意識が根強いのではないだろうか(関川はそこまで踏み込んだ分析はしていないが)。
ううむ、韓国と日本を比較文化論的に論じようとすると、右からも左からも文句を付けられそう内容になってしまう。しかしここまで書いたものを死蔵するのはもったいないので。公開する。

退屈な迷宮―「北朝鮮」とは何だったのか (新潮文庫)

退屈な迷宮―「北朝鮮」とは何だったのか (新潮文庫)

*1:もっともこれは1990年前後の見聞をまとめているので、いまでは事情が違っているかもしれない。