「安全ちゃん」とネタ的消費

昨夜、トークイベントの打ち上げ参加後の疲れが溜まった上に睡眠薬を飲んだために前後不覚に眠ってしまい、寝返りを打ったのか、あるいは椅子に踏み潰されたのか、眼鏡のフレームが見事に壊れる。今年の年初にZoff新潟店で購入したものなので、Zoff池袋店で修理する。15分ほどできちんと直る。それにしても豊島区民でも池袋周辺で働いているわけでもないのに、3日連続で池袋に行くとは何なのだ、オレは。
そうそう。昨日のトークイベント関係といえば、この本を一気に読んだのであった。

わたしたち消費―カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス (幻冬舎新書)

わたしたち消費―カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス (幻冬舎新書)

高校生のころから現在にいたるまで、まともに読んで内容を理解できた経済学関係の書籍はバタイユ『呪われた部分』(ISBN:4576000233)、柄谷行人マルクス、その可能性の中心』(ISBN:4061589318)、岩井克人貨幣論』(ISBN:4480856366)しかないという、有名大学の経済学部、経営学部、商学部などで真面目に勉強している大学生や大学教師、総合商社のビジネスマンなら苦笑せざるを得ないセレクトだが(彼らはバタイユの名前を知っているのだろうか)、こういうものにしか興味を持てないのだから仕方がない。とりわけ『貨幣論』から受けた影響は大きく(同じ著者なら『ヴェニスの商人資本論』のほうが面白いようだが、こちらは未読)、「資本主義とは『人類は絶対に滅亡しない』という誤った前提の上に成り立った、全世界規模のネズミ講にすぎない」と判断し、いまにいたっている。あとは経済的に妙なところで鷹揚なのは、『呪われた部分の』の影響。蕩尽、蕩尽、また蕩尽!
脱線しすぎた。そのような読者からのまとめにすぎないが、『わたしたち消費』とはひとつの「ネタ」を媒介にして、その「ネタ」を面白がれる価値観を持っているひとびととその追従者によってさまざまなものが消費されているのが現代の日本だと説明されている。たとえばケータイ小説やある種のゲームソフトとその関連ハードウェアなど、「流行しているはずなのに実感が湧かない」ものが多いのは、そのため。一昨日の深夜から話題になっているこれが、革命的オリーブ少女主義者同盟演説の動画だ! - 安全ちゃんオルグ日記も、渋谷系オリーブ少女マルクス主義全共闘運動に関する基礎的な知識がないひとからすれば、ただ「かわいい女の子が演説口調で喋っているなあ」としか思えないだろう。まるで面白くないはずだ。これが「ネタ的消費」の恰好のサンプル。またこれがいつまで面白がられるのか、「安全ちゃん」がこれからネット上でどのような活動を展開するのかも、興味を惹かれるところだ。「モヒカン族」や「単著もないのに」が急速に飽きられたのと同じ経過をたどるのだろうか。
さてこのような時代にどんな手法で商品を売ればいいのかというと、マーケティングには1ミリたりとも関心のないオレには理解できない。この問題は『わたしたち消費』を読んで、各自が判断するものだろう。