オタク・ジェネレーション

『動物化するポストモダン』仏訳版

紆余曲折を経て東浩紀動物化するポストモダン』のフランス語訳(http://www.amazon.fr/dp/2012372333)をようやく入手する。裏表紙の宣伝文を試みに翻訳する。なお"réduire"は「減少する」を意味する動詞だが、名詞として使われるとどういう意味になるのか判らないので、そのままにしておいた*1。丸括弧でくくられた部分は訳者による補足、あるいは「もっと適切な訳語があるのでは」という留保である。
あと自閉症患者に関する記述は、文学的なレトリックとしてもちょっといただけない。いわゆる「自閉症」のひとは単に喋ったり書いたりしないだけで、じつは思索的なことがあるからだ。フランスのほうが精神・神経系の病気に対する偏見が根強いのだろうか*2

日本でベストセラーになったこの論評は、オタクという現象について考える――だが判断はしない――のに多いに役立つ。漫画、ビデオゲーム、アニメの若き愛好家であるオタクたちは内輪だけで、そして絶え間なく作り出してはその派生物(二次創作物のこと?)を消費している文化的な生産物のためだけに生きている。たとえばファンジン、アニメ的なデッサンが印刷された小説(ライトノベルのこと?)、人形が焼き付けられたアニメ(萌え系アニメのこと?)など。この現象は1980年代から恒久的に発展しており、今日においては巨大な市場をなしており、そして漫画の世界的な成功を経由して外国にも広がっている。しかしながらこの青少年たちは(コミュニケーション能力の不足のために)まるで自閉症の患者のように捉えられており、東浩紀までは誰も彼らのオタク的な作品や消費行動を真面目に研究しようとしなかった。
この著作はオタク文化ポストモダン性の当惑させられる(刺戟的な)一致をあきらかにしている。(社会や人生の)目標、大きな物語、作者と消費者あるいはオリジナルとコピーのあいだの境界線というさまたげ、これらの喪失のためにオタク文化は初のポストモダン的な文化なのだ。ゆえに日本だけのものとして矮小化するのは間違っているだろう。なぜならそれはすでに、世界中の若者たちを魅惑しはじめているからだ。

*1:コメント欄でanterosさんから指摘を受けたので、訳を改めた。

*2:Twitterで指摘されたが、これまた大誤訳であった。正反対の意味に捉えていたので、全面的に訳しなおした。自分の文法的な知識の不徹底さとオタクに対する偏見が野合してしまった。