高度に発達したサブカル男子はただのオタクと見分けが付かない

東京ガールズブラボー 上巻 ワンダーランドコミックス

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両親が離婚して、母親とともに札幌から東京に引越すことになった女子高生が主人公。高校を卒業するころにYMOが解散したという設定なので、1982年前後の物語だろう。はじめての東京への期待と落胆。ライブハウスの喧騒。退屈な学園生活。「ギョーカイ」への漠然とした憧れ。巻末に浅田彰との対談が収録されている点も含めて、1970年生まれの地方都市出身者で、ラジオや雑誌を経由してあの時代の雰囲気を漠然と知っている男性読者にとっては、気恥ずかしいやら照れ臭いやら。
ところでこの作品は「CUTiE」1990年12月号から1992年12月号まで連載されている。この時点ですでに1980年代初頭の東京は、ノスタルジーの対象になっていたわけだ。「あー、あのころってこんな感じだったよね」と懐かしむ大学生から、「近接過去」を新鮮な目で眺める中学生まで、年齢によって受け止める印象は多種多様だったのではないか。
さらには2003年に復刊された単行本を読んでいるティーンエイジャーとなると、この漫画の舞台になった時代のさらに10年後に生まれた可能性があるわけで、そうした読者はオレが六〇年安保に関するドキュメンタリーを読むのと同じ感覚で、この漫画を読むのかもしれない。この作品に登場する固有名詞でいまの高校生が註釈なしで理解できるのは、坂本龍一くらいではないのか。近接過去どころか、単純過去である。渋谷系周辺の文化をこうしたノスタルジーと批評精神が入り混じった視点から描いた小説や漫画がそろそろ生まれてもいいはずだが、オレは寡聞にして知らない。みんながクリエイターになりたがって、クリティックが生まれてこないのが、あの時代が与えた悪い影響である。
なお岡崎京子はここで、高度に発達したサブカル男子はただのオタクと見分けが付かないという残酷な事実を突き付けている。しっかりしろ、犬山!