いつもながらの軽妙な文体に乗せられて、19:00から22:30までかけて一気に読み終える。文学(ほとんどが20世紀の日本の小説)を、そのなかに登場する「商品」から論じている。なかには野球やホテルなど、厳密には「商品」とは呼びがたいものも含まれているが、いずれも金銭を支払わなければ楽しめないわけで、商品と言って言えないことはない。本書によれば衣食住の描写に関しては
渡辺淳一はまったくの論外、
田中康夫は意外と杜撰、
丸谷才一はわりとまとも、
金井美恵子は相当の実力があることになる(第2章)。あと音楽好きとしてはバンドを描いた小説を論じた第6章が面白かった。音楽くらい小説で描きにくいものはない。ミュージシャンや楽器の名前を列挙しても予備知識のない読者には何のことやらであるし、楽譜を持ち出しても読めないひとは読めない。著者はここで、まともな純文学作家が遠ざけがちな方言と
オノマトペを駆使すると、優れた作品が生まれると指摘している。なるほど。あらかじめ
エクリチュールとして整えられている標準語よりは、
パロールをそのまま活字にしている方言のほうが、より音楽的(口語的)である。たとえば音楽をテーマにしているわけではないが、「
井伏鱒二へ。
津軽の言葉で」という副題を持つ
太宰治の掌編
「雀こ」を読めば、この辺は理解できるのではないか。これはぜひとも、
津軽弁の
ネイティヴ・スピーカーの朗読を聴いてみたい。
話はずれるが編集者としての職歴が長い評論家、エッセイストには独特の癖があるように感じられる。たとえばこの本での
斎藤美奈子に見られるように、どうでもよさそうな細部からその作品や作家の本質をするりと取り出すセンス。
ロラン・バルトのような天性の資質の持ち主ならともかく、そうでないひとは校正などの作業を積み重ねないと、なかなかこういう感覚は身に付かないのではないか。