「一歩と三歩の小さな部屋」

「この椅子から歩いて二歩」と書いて思い出したので、くだらぬ話題を付け加える。坂口安吾のエッセイ「教祖博覧会」(いささかステレオタイプ気味の前衛芸術批判だが、それでも「絵具代をだしてくれたのは誰か、ということが主として気にかかる絵」など、各作品への突っ込みが爆笑もの)に、

 ヴァレリー師が教祖マラルメ師の書斎を語って、一歩と三歩の小さな部屋、と云っているが、原語は私が馬鹿正直に訳した通り、PASというのです。一歩と三歩じゃ小さすぎらア。本当かなア。もっと正しい訳語がありそうなもんだなア、と思ったが、しらべるのが面倒くさいから、一歩と三歩の小さい部屋。部屋の大きさを歩幅ではかるというのもアンマリ見かけないことだと思ったが、なんしろ教祖の書斎である。それを語るのも教祖二代目、こッちも教祖五六代目のツモリで、ごまかしてやれ、知らない奴は喜んで感心すらア、というような悪いコンタンで、今もって訳者は腑に落ちないのである。

とある。腑に落ちないのはこちらである。脚の長い人間が大股で歩けば、12畳の部屋の端から端まで三歩で渡れる。いま自分の身体をもってして確認したのだから間違いない。ヴァレリーは意外と正確にマラルメの書斎を描写したのではないだろうか。安吾は実際に歩いてみて、「ナルホド、その気になれば四畳半くらいの部屋なら一歩と三歩で歩くのはワケもないワイ」(カタカナの使いかたで、ちょいと安吾を真似た)と思わなかったのか。まったくもってどうでもいいというか、「お前は脚が長いのを自慢したいのか」と勘繰られても仕方がない(まさにその通りだ)文章である。
さすがに申し訳ないのでちょっとは役に立つことを書くと、「歩み」を意味するフランス語の名詞"pas"には、"La gare est à deux [trois, quetre] pas d'ici."といった用法がある(『ロワイヤル仏和中辞典』より)。「駅はここからすぐ近くですよ」といった意味だが、直訳すれば「駅はここから二(三、四)歩にある」となる。実際に二歩か三歩でたどり着けるのならわざわざ説明するまでもないわけで、譬喩的な用法だろう。ヴァレリーも「狭さ」を漠然と形容するために、「一歩と三歩」と書いているのかもしれない。言っていることが上の段落とあからさまに矛盾するが。