日本語詞のエンディング曲

新海誠『秒速5センチメートル』を観たときは、ラストになって山崎まさよしが歌いだした途端に、別に嫌いなミュージシャンではないのに、何ともいたたまれない気持ちになった。こんなことを感じるのはオレだけなのかと思ったが、オレよりもはるかに映画に造詣が深いyomoyomoさんも似たようなことを書いている。
かといってオレは「Jポップは映画のエンディングに使うべきではない」と言いたいわけではなない。細田守版『時をかける少女』のエンディング曲は、いかにもいまどきのガールズポップだったが特に違和感はなく、むしろ「ああ、いい音楽だなあ」と素直に感じた。あと宮崎駿アニメ*1ではよく日本語詞の曲が使われるが、これもどうにも違和感が拭えない。と、アニメの話ばかり書いたが、実写映画でも似たような体験をしたひとはいるだろう。
どうも日本映画には「エンディング曲に日本語詞が似合うものと、そうではないもの」の違いが厳然として存在しているようだが、何がこのふたつを分けているか、これといった答えが見出せない。

*1:息子が同業者になったばかりに「宮崎アニメ」と書けなくなったのは、少しもどかしい。