この辞書を使え

今日は特に書くことがないので、大学院生時代の思い出などを。大学院(特に人文系)の実態に関する文章には一定の需要があり、いまでは社会的なトピックとなっているからでもあるが。
中上級者向けの仏和辞典としては、『ロワイヤル仏和中辞典』(ISBN:4010753056)と『新スタンダード仏和辞典』(ISBN:4469051047)に定評がある。オレはフランス語を習い始めた当初から『ロワイヤル』を愛用していた。書店の店頭で各種の仏和辞典を読み較べて、「これがよさそうだ」と直感したのだ。葦編三絶して買い直した本というと、これくらいしかない。そのくらい、『ロワイヤル』には愛着があるのだ。
オレが大学院に入ったばかりのころ、仏文科の合同研究室(学部生が足を踏み入れることは滅多になく、実質的には院生と教師の溜まり場になっていた)でいつものように『ロワイヤル』を繙きながら自習していると、先輩から「その辞書は使わないほうがいい」と言われた。そのときの彼の口調が叱責する調子だったのか、優しく諭すようだったかはさだかではないが、しばらく理由を理解できずにいた。もしかしたら自分は、とても欠陥の多い辞書を使ってきたのだろうか。すると先輩が、この大学の長老格の教授は『スタンダード』のメインの編集委員で、同じ大学で教鞭を取る多くの教師が業績作りのために『スタンダード』の編集に名を連ねているのだから、この大学ではおおやけには『ロワイヤル』を使ってはならない、と言われた。他大学・他学部から進学したオレは当惑するばかりだったが、実際に院のゼミでは全員の院生が『スタンダード』を小脇にかかえ、それ以外の辞書を使う光景は見られなかった。また長老格の教授は『ロワイヤル』の編集方針がいかに誤っているかを、ことあるごとに非難した。
さすがに院生だけで自主的に開催する勉強会では『ロワイヤル』も使っていたが、そのときも辞書名を名指すのが禁忌であるかのように「白いの」「黄色いの」と呼んでいた。これは『ロワイヤル』の表紙が白、『スタンダード』の表紙が黄色だったためである。
それにしても学閥への配慮から使う辞書の種類まで限定されるなど、ほかの世界ではあるのだろうか。これが「(大学院という)やばいところに来てしまった」とオレが思った最初のできごとである。
なおオレはいまフランス語検定に向けて黙々と復習している最中だが、当然ながら『ロワイヤル』が傍らにある。