バックナンバーの恐怖と魅惑

城戸朱理阿部嘉昭井辻朱美という固有名詞の並びから、このブログの読み手は何を連想するだろうか。それぞれ詩人、サブカルチャー系の批評家、ファンタジー作家兼翻訳家兼歌人として、文学関係の本をそれなりに読んでいるひとのあいだでは知られた名前だが、それ以上の共通点は見出せないかもしれない。しかしいずれも『ユリイカ』1978年12月号の「解放区」(アマチュア詩人のための投稿欄)に作品が掲載されている「共通点」があるのだ。なお今宵のオレがこの雑誌をぱらぱらとめくったことに、大した意味はない。本棚を物色して、ルイス・キャロルを特集しているこの号が何となく目に付いただけである。それにしても「城戸朱理(岩手19歳)」、「井辻朱美(千葉22歳)」はともかく、「阿部嘉昭(東京20歳)」が『ユリイカ』に詩を投稿していたとは、まったく思いもよらない事実であり、不意打ちを喰らわされた。
しかし雑誌のバックナンバーを読み返す楽しみは、ここにあると言ってもよい。サブカル誌や新左翼系のオピニオン誌なら10年前、文芸誌や思想誌なら20年から30年前のバックナンバーが、ちょうど「熟成」したころあいだ。これらをめくっていると、当時は無名だったがいまでは誰もが知っているひと、当時は強い影響力を持っていたが、いまではさっぱりメディアに登場しないひと、当時といまでは本人の思想的な立場(あるいは社会的な評価)がまったく変わったひと、そしてあっけないくらい早世したひとの名前がずらりずらりと並んでいる。下世話ではあるが、こうした「発見」や「再確認」はそれなりに面白くある。
ちなみに硬派の月刊誌の12月号のつねとして、この号にもその年度の「総目次」が付いている。それによると1977年12月号の『ユリイカ』は吉田健一の追悼特集を組み、渋沢孝輔阿部良雄宮川淳の、清水昶佐々木幹郎石原吉郎の、加藤郁乎と松山俊太郎が稲垣足穂の追悼文を寄せているのが判る。それぞれ個人的な交流も影響関係もなければ、共通の知人もいなかったであろうこの四人の文学者がほぼ同じ時期に世を去り、そしてやはり「個人的な交流も影響関係もなければ、共通の知人もいなかったであろう」文学者たちによって追悼されているのは、やはり何やら面白く、そしていささか感動的な光景ではある。