「本業」くらいは知っておこう

米長邦雄が2004年の園遊会で、「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事」と発言し、明仁天皇がそれを軽くいなしたとき、オレは米長を「何と愚かな男だろう」と思い、明仁の言動に痛快なものを覚えた。しかし一部の「良識的」なひとびとのように、米長邦雄を徹底的に糾弾する気にはなれなかった。「下手の横好き」のぶざまな典型ではあるが、それでも一応は将棋ファンではあるオレは、彼には一定の敬意を払っているからだ。将棋のことをあまり知らないひとが、あの発言だけを取り上げて問題視して、奇妙な人物として揶揄するのは、いささか礼を失した行為のように感じられた。
ここで昨日亡くなった若桑みどりに話は移る。恥ずかしながらオレは若桑みどりの文章は雑誌に発表された短いものしか読んでおらず、まとまった著作に眼を通したことはない。せめて『薔薇のイコノロジー』(ISBN:4791752538)くらいは読んでおかないとな、と高校生のころから思いつつも、ついに手にすることがなかった(今後はあるかもしれないが)。
さてまたもや微妙に話は移るのだが、はてなダイアリーのキーワードには「若桑みどり」が二重に登録されている(2007年10月4日現在)。先に登録されたものは美術史家としての彼女の業績を淡々と記したまっとうなものだが、あとから登録されたものは、フェミズム系の論者としての彼女の言動だけに焦点を絞り、それを執拗かつネガティヴに描いている。そこでオレは「二重登録であり、さらに偏向したブログのエントリが参考URLとなっているので、削除いたします」とコメントして、削除予定キーワードに移動したが、すぐに登録した本人によってもとに戻されていた(と、念のために確認したら、いまでは「ブログで書くべき内容。キーワードで書くべき内容ではない」というまたほかのひとのコメントとともにすべてが空欄になっていた。移り変わりがはやい。いま下書きしているこの文章をアップするときは、またもや状況が変化しているかもしれない)
「後・若桑みどり」(便宜的にこう呼ぶ)を登録・編集したひとは「誤った男女平等観に基づく男女共同参画」に反対する40代の男性だそうだが、このひとは何をきっかけで彼女の名前を知ったのだろうか。西洋美術によほど無知・無関心でなければ、40年も生きていれば篤実な美術史家としての若桑みどりを知る機会はあっただろう。もし「後・若桑みどり」を登録したひとが「誤った男女平等観に基づく男女共同参画」を推し進める人物としてはじめて若桑みどりを知り、果てにはキーワード登録に及んだのだとすれば、「ちょっと待てよ」と言いたくなる。
次第に論旨がぐずぐずになり(いつものことだが)、しかも後半は「はてな」の登録ユーザーでなければ詳細な事実関係を確認できない話題になってしまった。ともあれオレが言いたかったのは、「本業」を知らない(知ろうともしない)ひとが、一般的な意見として参照される可能性がある場で、そのひとの人物像を語るのはやめたほうがいいのではないか、ということである。