Faux pas

この2週間ばかり日記の内容が迷走と爬行を繰り返しているのは(最初からそうだったじゃないか、と言われるだろうが)、何をやっても何も好転しないのではないかという虚無感に捉われているからである。当たり前の権利を主張できず、当たり前の義務だけを強迫観念的に遂行する。季節が夏から秋へと急変したためであろうか。
ゆえに大学生のころに買って、ほとんど手を付けていなかった下の本を拾い読みする。

掌の小説 (新潮文庫)

掌の小説 (新潮文庫)

川端康成の徹底的な虚無感に較べれば、いま自分が実生活で感じている虚無感など、まことにつまらぬ、一時的なものに思えてくる。徹底的に観察に徹し、何事にもアンガジェしないその作風*1

 彼は妻を極度に愛していた。つまり一人の女を愛し過ぎた。だから、妻が若くして死んだのは自分の天罰だと考えていた。その外には、妻の死について考えようがなかった。
「恐しい愛」

「世の中に私程気前のいい者はないよ。亭主を人にくれてやったんだから。ははははは……。」
「馬美人」

 彼も彼女も小説家であった。二人とも小説家であるということは、彼等が結婚するに十分な理由であった。と同じようにまた、彼等が離婚するにも十分な理由であった。
「離婚の子」

と、こんなパラグラフではじまる掌編を読んでいると、多少は心の平安を取り戻せるわけだ。

*1:これはまったくの憶測だが、川端が自死したのは保守派の政治家を都知事選で応援するという、柄にもないアンガジェをしてしまったからかもしれない。