サルまんと櫻画報

オレが相原コージ竹熊健太郎の『サルでも描けるまんが教室』に降参したのは、初版第1刷第1巻の「書評予想」を読んだときである。これはその名の通り、「この本が出ればこのような雑誌にこのような立場のひとからこのような書評が出るだろう」とあらかじめ予想して書いたものである。そして『サルまん』の「書評予想」を読みはじめたときには、赤瀬川原平『櫻画報永久保存版』(ASIN:B000J93SN8*1の真似をしてるだけじゃねえか、竹熊健太郎も存外に底の浅いひとだな、などと思ったものだ。ところが『サルまん』の書評予想を読み進めていくうちに、「これは『櫻画報』の安易な模倣にすぎない」といったことが書かれていたのだ。要するに「竹熊健太郎も存外に底の浅いひとだな」と思う、より底の浅い読者まで念頭に置いているのだ。これには「ワタシマケマシタワ」と言わざるをえないではないか。
なおいまでも比較手に手に入れやすいのは新潮文庫版の『櫻画報大全』(ISBN:4101427011)だが、残念ながらこちらには「書評予想」は載っていない。新装版の『サルまん』も買っていないので、こちらにも「書評予想」が載っているかどうかは確認できない。
サルまん』にも『櫻画報』にも書きたいことはいろいろあるのだが、書きはじめると終わりそうにないのでやめておく。
それにしても『櫻画報』が連載されてから『サルまん』が連載されるまでの月日は、『サルまん』が連載されてから現在までの月日とほぼ同じなのか。あのころは18歳だったオレも、いまでは36歳。

追記

新潮文庫版『櫻画法大全』から「書評予想」が削除されているというのは、オレの読み落としであった。333ページから337ページにかけてちゃんと印刷されている。この本は新装版が出るたびに序文がどんどん膨れ上がるなど(これはもちろん『共産党宣言』のパロディ)、内容がどんどん増えていくので、異同点を確認するのが難しいのだ。
そもそもなんで『櫻画報』にこだわるのか、よく判らないひとがいるかもしれない。オレにもよく判らない。あとで整理したい。

*1:しかしすごい値が付いているね、これは。