口約束と友情

封印作品の闇―キャンディ・キャンディからオバQまで (だいわ文庫)

封印作品の闇―キャンディ・キャンディからオバQまで (だいわ文庫)

かつては当たり前のように放送され、購入できたのに、いつの間にか最初からなかったかのようになっている文化商品の数々を、この本の著者は「封印作品」と呼ぶ。何も公権力による発禁処分といった大袈裟な事態が生じたわけでもなく、「売れそうにないから」というビジネス上の理由で入手困難になったわけでもない。具体的には『キャンディ・キャンディ』(漫画、およびそのテレビアニメ版)、『サンダーマスク』(特撮ドラマ、およびその漫画版)、『ジャングル黒べえ』(漫画、およびそのテレビアニメ版)、『オバケのQ太郎』(同上)の四作品が「封印」された過程を著者は追うのだが、推理小説の謎が解けたかのような爽快感を味わえる(と表現するのも気が引けるが)のは『キャンディ・キャンディ』だけである。あとの作品に関しては、結局はどうだったのだという割り切れない読後感ばかりが残る。理由は簡単で、当事者や関係者が肝腎のところを何も語りたがらないからだ。『キャンディ・キャンディ』にしても原作者が漫画家を訴えるというトラブルが起こり、客観的な資料が残されたので全貌が明らかになったのである。
この著者には『封印作品の謎』(ISBN:4479300996)という著作もあるのだが(オレは未読)、こちらでは「封印」されている理由は「社会的な問題や差別表現の問題」で説明できるものが多かったようだ(「おわりに」より)。しかし『闇』で取り上げられた文化商品は「どの作品も作り手たちの中にある感情的な問題が大きい」と結論している(同上)。そう、この国の文化産業はほとんどが口約束と友情によって成り立っている「脆い」ものなのだ。それゆえに重要な事実関係を知る者が故人となったり、当事者間で感情的な縺れが生じたりすると、文化商品を流通させるための最終決定権が誰に帰属するのかが判らなくなり、責任のなすりあいの末に結局は「封印」されるのだ。「著作権」は都合のいい口実として恣意的に利用されるだけにすぎない。
こうした国に生き、細々としてではあるが文化商品の生産にたずさわっているオレには、「口約束と友情」が支えている業界の構造を批判する資格はない。なぜなら「口約束と友情」によって助けられたところは大きいからだ。ゆえに「欧米なみのビジネススタイルを」と提言する気にはとてもなれない。だいたいいまどき「欧米なみ」を提言するのが、何やらアナクロニズムめいている。