手短に。
この「コミックス・ジャーナリズム」の美点は、自分はどこまで行っても
アメリカ人のインテリにすぎないという自覚を、作者が保っていることにあるだろう。大学出の
フェミニストと議論をしたり、良心的な西洋人の家庭のソファに寝そべってサ
イードの『
オリエンタリズム』を読むほうが、「
パレスチナの悲惨な現実」を取材するよりも気楽だと率直に告白している。しかし低徊趣味と韜晦趣味が蔓延した(もちろんオレもこの構造に取り込まれている)日本では、「そんなものはただの手法なので、感心するまでもない」と言ってしまえるのである。困る。
高橋源一郎の評論を読むといつも羨ましくなる。なぜなら彼は詩魂というやつを持っているからだ。自分には詩を解する能力が先天的に欠落しているのではないかとつねに脅えているこちらとしては、ともあれ羨むしかないのである。しかしこのひとは、あまりにも影響されやすい。いまさら
内田樹の議論を参照源にしなくてもいいだろう。だがオレは「影響されやすいひと」が好きなのである。なぜなら自分もそうだからだ。困る。
ライトノベルというジャンルには、「人気があるものはいつまでもだらだらと続いてしまう」という偏見を持っているオレだが、このシリーズは最初からかっちりと構成を決め、細かい伏線を張り巡らしている。どうやら番外編を1冊挟んで、その次くらいに完結するようだ。(狭義の)小説に慣れているオレは、たとえ
ライトノベルでもこういう作品のほうが安心して楽しめる。困る。