漫画家じゃん

集英社文庫版の太宰治人間失格』(ISBN:4087520013)が表紙のイラストを小畑健の漫画にしたら大変に売れているのは、新聞でも大きく取り上げられ、インターネット上でも一定の反響を呼んだ。ところでこの小説の主人公の職業は漫画家である。オレは何もこんな嘘をついて、ひとを欺く趣味はない。だいたいすぐにばれる。どうしても信じられない向きは「第三の手記」を読んでほしい。ほら、ちゃんと「漫画家。ああ、しかし、自分は、大きな歓楽(よろこび)も、また、大きな悲哀(かなしみ)もない無名の漫画家」と書いてあるではないか。
などと、むかしから知っているかのように書くのはよそうね。オレだってつい数時間前に読み返すまで、こんなことはすっかり忘れていた。いや、もともと興味がなかったといったほうが正確かもしれない。しかしこれはどうしたことだろう。「この小説の主人公は漫画家なのだから、漫画が表紙でも何の不思議もない」とちょいと気の利いた警句を発する「識者」がひとりくらいはいてもよさそうなのに、オレの目に触れる範囲では誰もそんなことは言っていない。
話は変わるが、夏目漱石坊っちゃん』の主人公の職業は教師ではない。これも、本当である。結末にいたって「坊っちゃん」は辞表を提出し、鉄道技師に転職しているのである。しかし去年の同じ時期に知人に指摘されるまで、そんなことは忘れていた。これまた最初から興味がなかったと言ったほうがいいだろう。
そしてオレは三島由紀夫豊饒の海』の主人公だか傍観者だかの職業が何なのか、思い出せずにいる。ああ、「ヤメ判」だったのか(いま調べた)。「日本近代文学の名作」を読むときに主人公の職業を失念するのは、オレだけの性向なのだろうか。それとも何か「それ以外のこと」に読者が注意を向けるように大掛かりな仕掛けでも張り巡らされているのだろうか。ちなみにマダム・ボヴァリーの夫は医師である。さすがにこれは覚えているが、これまた自分の父親と同業者だというつまらぬ理由だけかもしれない。だいたい「日本近代文学」ではない。