「そのような事はなるべくそつとしておくことにしている」

Copy & Copyright Diary - 本は買って読むべきか?
http://d.hatena.ne.jp/copyright/20070920/p1
以下は「本は買って読むべきか?」という問いに対する、自分なりの回答である。まったく回答になっていないのは、大いに承知している。

 私は人生について深く考へる事は余り好きではない。我々の生きている事について、何故とか、何のためにとか考へた事はない。そのような事はなるべくそつとしておくことにしている。深く考へる事に自分の性格が耐えられるかどうかが恐ろしいのである。
 すべて私の生活はかくの如くごまかしであるので、辻によって責められる事が多い。

これは無名時代の星新一が、若くして自殺した辻康文という親友への追悼として書いた文章である(最相葉月星新一』より。こんな文章までが批評と研究の対象になり、かくのごとくネットで引用されるのだから、迂闊に有名人にならないほうがよろしい)。追悼文とは思えないくらい乾いた筆致だが、それはさておくとする。オレの死生観だって似たようなものだ。
ともかくこの文章を以下のように書き換えてみる。

 私は読書について深く考へる事は余り好きではない。我々の読んでいる事について、まだ読んでいないものが何冊あるとか、すべて読むのにどのくらいの時間と金銭が必要になるかとか、そのような事はなるべくそつとしておくことにしている。深く考へる事に自分の性格が耐えられるかどうかが恐ろしいのである。

これがオレの書物に対する態度である。読めば読むほど、まだ読んでいないもののリストが際限なく膨れ上がるので、「そのような事はなるべくそつとしておく」。自分にできるのは何かの偶然によって手に入ってしまったものを、ただ闇雲に読むしかない。それ以外の書物について、「深く考へる事に自分の性格が耐えられるかどうかが恐ろしいのである」。「すべて私の読書生活はかくの如くごまかしであるので、読書家によって責められる事が多い」のかどうかは、自分の知るところではない。繰り返すが、「そのような事はなるべくそつとしておく」しかないのである。