諦めている大人たち

新潟スタジアムアルビレックス新潟清水エスパルス戦を観戦。結果はちょっと調べたらすぐに判るので書かない(書きたくない)が、何だか気になる光景を見掛けた。エスパルスが1点を先取した時点で「ああ、これはもう負けたも同然だな」という感じで帰路に着く観客がけっこう多かったことだ。待ってくれ、これはサッカーの試合ではないか。後半戦の中盤で点を入れられても、ロスタイムで同点に追いついて勝ち点を上げるのは可能ではないか。なぜすぐに諦めるのだ。
夏休み最後のホームでの試合ということもあってかスタジアムは満席に近く、遅刻してスタジアムに着いたオレにはビギナー用の席しか残されていなかった。熱狂的なサポーターではないからこそ、さっさと帰るひとが多かった、と解釈するのも可能だ。しかしこれはもっと根深い習性のような気がしてならない。
よく「新潟のひとは粘り強い」と言われている。これは新潟「県」民には当て嵌まるのかもしれないが、新潟「市」民はそうではない。自分自身も含めて、適当なところで見切りをつけてやりかけのことを放り出すひとが少なくない。坂口安吾「諦めている子供たち」でそのように指摘している。
ここまで書いてかなりどうでもいいことにこだわっていると思い始めたので、もうやめる。ほら、こうやってすぐに放り出すのである。