原文、読んでる?

昨日の日記のコメント欄でanotherさんは理系の学生は語学に興味が薄く、また英語至上主義が徹底しているので、「英語に似てるから」という消極的な理由で第二外国語にドイツ語を選ぶことが多いと述べていた。この時点でオレはどうにも悩んでしまう。理系では「論文を原文で読む」という習慣が重視されていないのだろうか。
文学・哲学研究では「お前、ちゃんと原文で読んでるのか?」がひとつの殺し文句になっている。この時点で原文を読んでいない者は「負けました」と頭を下げて投了するしかないのだが、理系ではどうなのだろうか。
たとえば理学部数学科に籍を置いてポワンカレについて本格的に研究したい者なら、当然ながらフランス語を学び、ポワンカレの論文を原文で読むものだとオレは勝手に想像している。もしここで「理系の学問は普遍的・客観的なのだから、原文がどの国の言葉で書かれていても関係ない」と言われたら、オレは「あらゆる言語にはイデオロギーが内在しており、また数学だろうが物理学だろうが化学だろうが、その論文が書かれた時点での文化状況と無縁ではいられない。ゆえにポワンカレを学ぶのであればフランス語を学び、19世紀後半のヨーロッパの置かれた文化状況も研究しなければならない。そうした作業をネグレクトしてポワンカレの『理論』だけを研究するのは知的怠慢である」と反論するだろう。しかしこういう主張を繰り返す人間は「文化相対主義者」というレッテルを貼られ、ソーカル=ブリクモンようなひとから嘲笑されるのだろうか。それとも「そういうのは科学者じゃなくて、科学史家がやることだ」と諌められるのだろうか(オレのこうした書きかたも「安易なレッテル貼り」と言われるのかもしれないが、何しろ理系の実態をよく知らないので、こんなことしか書けないのだ)。