ドイツ文学科凋落に関する私見

yomoyomoさんはてなダイアリーのコメント欄で本論とは関係の薄い話を続けるのも気が引けるので、こちらに場を移す。
ドイツ文学にかぎらず外国文学研究なんてのはどの大学でも不人気学科になっていると思うが、ドイツ文学科の凋落ぶりはあまりにも極端すぎる。オレの交友関係にかぎっても、ドイツ語やドイツ文学に関する専門的な教育を受けた者はどうにも見当たらない。むかしは大学生たるもの、専攻を問わずにドイツ語を学び、ドイツの文化に触れ、学生俗語としてドイツ語を多用したが(いまでも生き残っているのは「アルバイト」くらいか)、いまではそうした過去を想像するのさえ難しくなっている。なぜこんなことになったのか。思うに第二次世界大戦とそれに続く冷戦構造のせいではないか。
大学や大学院に進んでまで外国文学研究を専攻するには、その国の文化に対する憧れや好奇心がある程度は必要になるだろう。しかし冷戦時代のドイツというと、西ドイツは重工業化が進む国で、東ドイツは「社会主義国の優等生」とされつつも、じつは秘密警察への密告が耐えなかった国。そしてテレビの歴史ドキュメンタリー番組を観れば、ベルリンの壁を乗り越えて東側から西側に脱出しようとする市民が射殺される光景が流される。そしてドイツの若者がどんな音楽を聴き、どんな映画を観ているのかについては、断片的な情報しか入ってこなかった。こんな状態が45年ほど続いたのだから、どうにも文化的な憧れは持ちにくい。
隣国のフランスというと、実存主義ヌーヴェル・ヴァーグヌーヴォー・ロマンフレンチ・ポップス(ヴァリエテ・フランセーズ)、構造主義ポスト構造主義といったアメリカ文化に飽き足りない若者の知的好奇心を掻き立てる文化が絶えず紹介され、それらの文化の紹介者が知的スターとしてマスメディアの脚光を浴びた。たとえば小林よしのり - Wikipediaによれば、高校時代の彼はフレンチ・ポップスを好んでおり、「フランス語でミッシェル・ポルナレフが歌えたらカッコいいし、女にモテるだろう」という健全とも不健全ともつかない理由でフランス語科(フランス文学科ではない)に進学したそうだ。それに較べて第二次大戦後のドイツ文化はどうにも冴えないというか、辛気臭いというか、ロックどころかジャズにすら理解を示さなかったおじさんの「アウシュヴィッツ以降、詩を書くことは野蛮である」という声に耳を傾けても、いかにもモテそうにない。
こうした状況が続いたために、ドイツ文化に憧れる若者が少なくなり、冷戦構造が崩壊してからも負のイメージから脱却できずにいるのが、現在の凋落の原因なのかもしれない。
そしてドイツ文化が「冴えない」ものになったのは、ユダヤ系の優れた知識人や芸術家がこぞってアメリカに亡命したからなのかもしれない。しかしこれは暴論なのではないかとわれながら思う。