明朗すぎる法曹者

そんなわけで歴史的な話は脇に置き、オレの個人的な思い出話を語りたい。
オレは「パソコンの操作に長けている」「母親の旧友がボス弁である」というだけの理由で、大学院生時代に半年間、法律事務所というまったく畑違いの世界でアルバイトしていた。オレが「スーツを着てネクタイを締め、朝の9時までにタイムカードを押す」という毎日を送ったのは、あれが最初で、おそらくは最後である。
そこで感じたのは、文学者や文学研究者には変人が多いが、法曹関係者にも同じく変人が多いことだ。しかも「変人」の質が違う。文学関係者の場合は「自分のやってることなんて、どうせ誰の役にも立たないんだよな」という自虐的なユーモアが伴っているが、法曹関係者の場合は「自分はれっきとしたエリートで、しかも社会の役に立っている」というプライドが伴う。文学関係者よりも、さらに付き合いにくい。特に司法浪人している女性の社会性・協調性の欠如は、オレさえ驚くほどであった。何しろボス弁にちょっと叱責されたくらいで、「私はこんな風に扱われるのは耐えられません!」と怒り、短期間でアルバイトを辞めたのだから。たぶん難関大学の法学部を優秀な成績で卒業し、司法試験合格のために連日努力している彼女は、家族や友人に応援されながら勉学に邁進し、誰かに激しく叱責された経験に乏しかったのだろう。
何ともいやな思い出もある。おそらくは在学中に司法試験に合格した東大卒の青年が、司法修習期間が始まるまでの腰掛け的にアルバイトをしていた。長身痩躯で上品な眼鏡を掛け、無難なデザインだが高そうなスーツを着ており、いかにも「如才のないエリート」といった雰囲気を漂わせていた。
彼はある日、弁護士の代わりに出張用の飛行機のチケットを買いに行った。そして事務所に戻るや否や、領収書の宛名書きで事務所の「事」の字が書けずに困惑している女性を話題にしはじめた。そこには義務教育で習う漢字さえ書けない人間に対する、あからさまな侮蔑が込められていた。これは外国文学の大学院のゼミでちょっとした単語の誤訳から間違った解釈に陥った学生に教師が加えがちな、陰湿で粘着質な批判とは異なり、「こんな無学な女性がいるなんて、みなさんにも信じられませんよね。そうでしょ?」といった明朗闊達さがあった。オレも漢字の誤りには手厳しいほうだが、少なくともこのようなかたちで女性を嘲弄したりはしない。ただ内心で「これは間違っているよ」と思うだけだ(仕事で校正をするときは別だが)。だいたい簡単な漢字が思い出せなくて困惑し、思い出そうと必死になるあまりかえって混乱に陥るなど、よくある話ではないか。そうした機微を彼は理解できないのだろうか。オレは話を聞いているうちに、どんどん不快な気分になるのを抑えられなかった。
司法修習期間に入ってから、彼から事務所宛に手紙が届いた。そこには「自分はやはり検事が向いていると思います。検事になったら、あらゆる悪事を厳しい目を光らせるつもりでいます」などと書かれていた。いまにして思えば、ああいう人間性の持ち主は弁護士(とりわけいわゆる「庶民派弁護士」)よりも検事のほうが適職だったかと思う。しかしこういう検事(検察官)は自分と同じ社会的エリートの不祥事には手心を加えてうやむやにしそうな気がしなくもない。