点描教育あるいは越後のスーラ

『サマースプリング』を読んで、アルコール依存症ではないかと生徒から噂されている教師はけっこういろいろな学校にいたのではないかと思えてきた。少なくともオレが通っていた中学のMという初老の美術教師にはそうした噂があった。彼はいつも手が震え、呂律がまわっていなかった。それより強烈だったのはMが徹底した点描主義者で、色を「塗る」のではなく「打つ」のを生徒に強要したことだ。美術史に関する知識をほとんど持ち合わせていなかったオレは、ヨーロッパでは何百年も前からこの手法で絵が描かれてきたのだと信じてしまった。この思い込みがどのように解消されたのか、よく覚えていない。
芸術系の教師といえば、アルコール依存症ではなかったが、音楽のNも忘れがたい。彼はわが中学に赴任するや否や、それまで純クラシック調だった校歌の伴奏を8ビート風にリアレンジした。これだけだとリベラルで物分りのいい教師に思えるかもしれないがさにあらず、授業は徹底したスパルタであった。オレが生まれて初めて出会った「スパルタ教師」だったかもしれない。
もっともそんなNにもいい点はあった。オレは音楽の実技はまったく駄目で、いつもはNから文字通りの意味で睨まれていた。しかしある学期の筆記試験で、満点を取ってしまったのだ。何しろ妹がピアノを習っていたので、基礎的な音楽理論は学校で教わる前から身に付けていたのだ(こうして理論を学ぶことにばかり喜びを感じるのがオレの悪癖である)。するといつもは「1」や「2」が並んでいた成績表に、その学期だけは「5」が付けられた。個人的な好悪や従来の成績とは関係なく、ちゃんと評価すべきものは評価する教師だったのだ。
なおMはその後、授業中に吐血して救急車で運ばれたという話を耳にした。