人力なんてもういらない?

たとえばGoogleで「兼常清佐」を調べると、ごく基本的しか情報しか紹介されていない兼常清佐がトップで表示される。この記事を入力したのはオレで、細かな生年月日、最終学歴、出身地よりも、その人物に関する重要な業績を紹介するのが先決だと判断したからだ(オレがはてなダイアリーのキーワードを登録するときは、いつもこの基準を用いる)。しかしおかげで「Googleで検索しても上位5位までしかブラウズしない」というひとにとって、ウェブは兼常清佐を知るためには役に立たないメディアになってしまっている。これはひとえにオレの怠慢である。
たとえば梅田望夫(の信奉者)には「人間が何もしなくてもGoogleに頼っていれば安心」というオプティミズムが感じられる。しかし上のような例をを見ると、やはり人力で入力すべきことをしなければどうにもならないではないか、と思えてくる。
しかしGoogle、ブック検索で慶応義塾大学図書館と連携なんてニュースを読むと、「もはや人間がやることなんて、単純作業しか残されていないのではないか」とも思えてくる。東大駒場の助手に戻って否や、「夏休みに、収蔵されているすべての英語の蔵書を点検し、その検索カードを作るという大作業にとりかか」(四方田犬彦『先生とわたし』)り、失明と発狂の淵をさまよった高山宏がこのニュースにどんな感想を抱いているのか、知りたくもある。「すべてのものに悪無限の円環を見てしまう、恐ろしく呪われた男」(同書より)は、世界を代表するIT企業と日本を代表する私立大学が共同でおこなってようやく可能になったプロジェクトを、たったひとりで、しかもまったくの手作業でやろうとしていたのだから。