Traduttore, traditore?

最初にことわっておくが、"Traduttore, traditore"は「翻訳家は裏切り者」という、それなりに有名なイタリア語の成句である。それなりに有名だから見出しに使っただけで、オレの文章を外国語に訳したひとを裏切り者だと非難したいわけではない。
オレが「ボンズ〜ル」というパリで配布されているフリーペーパーで漫画評を書いているのは過去に何度か告知したが、連載第1回ではひぐちアサの『おおきく振りかぶって』を取り上げた。そしてさきおとといの話の続きになるが、どうやらフランス人は外国語の文章を翻訳するときに原文に忠実かどうかよりも、フランス語として美しいかどうかを重視するようだ。
かような次第でこの漫画評のフランス語訳を自分自身で翻訳しなおすという、いささか倒錯的なことを試みた。
まずはオレが書いた原文を掲げる。

 野球は日本では非常に親しまれているスポーツである。とりわけ毎年春と夏に開催される高校生の全国大会(通称:Koshien)はプロ野球に匹敵する人気を誇っており、傑作漫画も数多いが、この漫画は従来の作品にはない特徴のために注目を集めている。まずは主人公の三橋(Mihashi)がきわめて内向的な性格で、自分の実力を過小評価している点、次に試合中の選手の心理をじっくりと書き込み、野球の頭脳戦としての面白さに焦点を当てた点が挙げられるだろう。とりわけ三橋が精神的に成長する過程は、読者にカタルシスを与える。

次に日本人のYさんが基本的な訳文を作り、ネイティヴ・スピーカーのチェックを経た上で活字になったフランス語訳を掲げる。アクサン記号を省略しているのは入力が面倒くさいからで、それ以上の意味はない。

Le base-ball est tres repandu au Japon. Notamment les matchs nationaux lyceens au printemps et en ete (Koshien) atteignent une popularite qui rivalise les ligues pros et qui a engendre beaucoup de grands manga. L'opus de Higuchi se distingue par le caractere extremement introverti de Mihashi (le personnage principal), qui s'estime inadequat. Le mangaka met en avant la psychologie des joueurs de base-ball qui est un sport tres strategique. Surtout, l'eveil mental de Mihashi est assez cathartique.

最後に上のフランス語訳を、自分が書いた原文をあえて読み返さずに、できるだけ直訳調で日本語に訳した。訳語の選択は旺文社『ロワイヤル仏和中辞典』(ISBN:4010750103)に準拠した。

 野球は日本では非常に普及している。特に春と夏の高校生の全国大会(コーシエン)は、プロ・リーグに張り合うほどの人気に達しており、多くの偉大な漫画を産み出している。ヒグチの作品は、自分が不適切だと自己評価しているミハシ(主人公)の、きわめて内向的な性格によって際立っている。この漫画家は野球という非常に戦略的なスポーツの選手たちの心理を、前面に押し出している。とりわけ、ミハシの精神的な覚醒は充分に浄化的である。

ただし"mettre en avant"を「前面に押し出して」と訳したのが正しいのかどうか、われながら自信がない。というか自分が原文を書いたのでなければ、"mettre en avant"をどう訳したらいいのか、かなり悩んだはずである。
しかし何よりも悲惨なのは、オレが書いた原文よりもフランス語訳を日本語に訳しなおしたもののほうが、「自分が不適切だと自己評価」を除けばはるかに判りやすい点だ。しかも「自分が不適切だと自己評価」というのは、オレのアドバイスによって直された唯一の箇所である。最初は"incapable"(無力、無能力)だったのだが、「原作の内容からして、それは言いすぎではないか」と指摘したところ、"inadequat"になったのである。しかも原文がぎこちないのは、できるだけフランス語に翻訳しやすいように、自分なりに気を配ったからでもある。ううむ。