制度の違い?

たとえばレナード・バーンスタインは1969年にニューヨーク・フィル音楽監督を辞任してから1990年に没するまで、いかなるオーケストラの音楽監督にも常任指揮者にも就任せず*1、しかしながら世界中の一流のオーケストラと多くの名演奏・名録音を残し、「史上最強の客演指揮者」とまで称された。それではいかなるバンドの正式なメンバーにもならず、かつ多くのバンドで正式なメンバーよりも重要な役割を果たしたロック・ミュージシャンはいるだろうか。
いや、そもそも音楽監督をロックバンドのバンマスにたとえるのがおかしい。ロックバンドのバンマスはオーケストラのコンマス(どちらも「マスター」だ)であり、音楽監督はプロデューサーであろうか。するとYMO解散後の細野晴臣の歩みは、バーンスタインに似ているかもしれない。しかし「バーンスタインってのは、要するに細野晴臣みたいなひとだよ」と説明しても、両方のファンであるオレには違和感ばかりが残る。だいたいプロデューサーと異なり、音楽監督は実際に自分も演奏に参加する(ただしバーンスタインの唸り声や、指揮台で足を踏み鳴らした音は、楽曲の一部ではなく「ノイズ」と聴き取られる。またロックでもプロデューサーが演奏に参加することがある)。
はたまたリンゴ・スターポール・マッカートニーも物故したあと、どこからともなく「ザ・ビートルズ」と名乗るバンドが登場して、あたかも自分たちのオリジナル作品であるかのように「サージェント・ペパーズ」や「ヘイ・ジュード」を演奏したら、ファンの顰蹙を買うだろう。しかし結成時のメンバーが誰ひとりとして在籍・存命していないオーケストラや弦楽四重奏団なら、いくらでも挙げられる。
こうして考えてみると、クラシックとポップスの違いは音楽性や「芸術」性にあるのではなく、制度の違いにあるのだな、と思わざるをえない。

*1:これは作曲活動に専念するためだったが、結局は指揮者としての仕事のほうが多かった。