星先生と由良先生

大量の参考文献をひもといては該当箇所を見付け出し(なぜ索引が必要な本にかぎって付いていないのか。全文検索機能があるという点においては、オレはネットの活字への優位性を認める)、決められたフォーマットに従って短い文章に纏め上げるという作業を連日連夜繰り返していると、新刊書を読む気力が失せる。たとえライトノベルであっても、未知の内容の本に足を踏み入れるのは、それなりの気合いが必要だからだ。おかげで献本された本まで読み進められず(ごめんなさい!)、むかしから愛読している本をだらだらと再読するのが最大の息抜きになる。
そんなわけでオレが今年、幾度となく「だらだらと再読」した本をふたつ挙げる。言ってみればこれがオレが今年前半に読んだ本のベストツーとなる。

星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一 一〇〇一話をつくった人

先生とわたし

先生とわたし

もっとも『先生とわたし』は雑誌掲載時に読み、単行本は買っていないのだが。
由良君美星新一ではあまり読者層がかぶらないだろうし、アカデミックな文学研究を学び、本人と面識があった四方田犬彦フリーランスのノンフィクション作家で、本人とは「中学時代に読んだ」以上のかわわりはなかった最相葉月では、対象にアプローチするときの方法論が異なる。にもかかわらずこのふたつの書物から浮かび上がる由良君美星新一はとてもよく似ている。

  • 1920年代後半に東京山の手に生まれ育ったお坊っちゃんであること
  • 異様な業績を誇る父を持ち、父の影に生涯にわたってこだわったこと
  • アルコールや睡眠薬に頼らなければならない脆さがあったこと
  • 華々しい肩書きがプレッシャーになり、かえって仕事に支障を来たしたこと
  • 「長くて本格的なものを書きたい」という願望を持ちながら、果たせなかったこと*1
  • 複雑な人間関係のしがらみからは、できるだけ超然としようとしたこと
  • 妻が夫の仕事にほどよい無関心を保っていたこと(これはありがたいことだとオレは思う)
  • 人間性や性格に対するに評価が、直接の知人のあいだでも極端に分かれること(これは20世紀を誠実に生きた知識人としては誰もが抱える矛盾や分裂であるが)
  • オレの好みではないが、美男子であること(これはどうでもいい)

ここまで並べてさてどんな結論が出せるかというと、特に何もない。こうして関連性のなさそうなものから共通点を見出して列挙するのが、オレの趣味というか、特技なのである。最近受けたちょっとした性格テストでも「直感的に目で見たものの要素間の関係を抽出し、統合する能力」が、相対比較的には優れているそうだ。
それでも結論を書かないと収まり悪いので、「いい本だから読みなさい」という馬鹿げた結論を加える。
あ、思い出したので追記するが、『星新一』の美点は作品解釈に対して慎重であることだ(これは別のひともどこかで指摘していたが)。決して熱心な文学愛好家でも文学研究者でもない人物が文学者の評伝を書くときに犯す過ちは、珍妙きわまりない作品解釈をほどこすことだ。たとえば作品と実生活の関係を論じるとき、最相葉月は本人の手記や関係者の証言と照らし合わせるのを忘れず、確証が得られないときは慎重に断定を避けている。ところで最近、東京都の副知事への就任が決まったノンフィクション作家も文学者の評伝をよく書いているが、あれはどうなのだろう。あのひとはどうも、オレにも増して文学の読みかたがよく判っていない気がするのだ。

*1:星新一には何冊かの長篇作品があるか、それらの多くは「いかにも長篇らしい長篇」ではない