文学と哲学とWikipedia

Wikipediaを批判するのがアルファブロガーのたしなみとなりつつある昨今だが、オレはそれなりに有益な情報源だと思っている。しかし文学関係や哲学関係では、「これはいかがなものであろう」という記事に出会うことがある。たとえばジャン=ポール・サルトル - Wikipediaでは、『家の馬鹿息子』がサルトル自伝となっていた。いや、もしかしたらあの作品はフローベールの衣裳を借りてみずからの人生を総括しようとしたのかもしれないが、それにしてもいきなり「自伝」とするのは間違っている。もちろん修正した。
それよりも頭が痛いのが、私小説 - Wikipediaである。現時点では三島由紀夫の『仮面の告白』や梶井基次郎の「檸檬」が、「私小説とみなされる代表的作品」にリストアップされているが、これはおかしいだろう。実体験にもとづいた作品が、すべて私小説というわけではあるまい。だったら大岡昇平の『俘虜記』や沢木耕太郎の『深夜特急』まで、私小説になってしまうではないか。あとは太宰治の『津軽』はいかにも私小説らしいかもしれないが、この作品は「津軽に関する本を書いてほしい」と出版社からの依頼を受け、その出版社から旅費をもらった上で書き上げられたのだ。このような成立過程を持つ作品を「私小説」に含めていいのだろうか。
しかしオレは日本近代文学に関する専門教育を受けていないので、このリストから何を削り、何を付け足すのが適切なのか、判断が付かない。ゆえにまったく編集できずにいるが、国文科出身のひとがいたら、適宜編集してほしい。