「叢書」の復権

吉田アミの初の著作、『サマースプリング』が太田出版より献本される。吉田さん、ならびに編集担当の郡淳一郎さん、木村カナさん、ありがとうございます。「恵投」とは「はからずも人からものを贈られ」たときに使うようだが(『新明解国語辞典』第四版より)、まさにこれこそ「恵投」と呼ぶにふさわしい。

サマースプリング [文化系女子叢書1]

サマースプリング [文化系女子叢書1]

と、献本された本を自分のアソシエイトIDで紹介するのも気が引けるので、吉田さんのアソシエイトID付きでもリンクする。
http://www.amazon.co.jp/dp/4778310810/hibinonikki0d-22
どちらをクリックするかは、各自の判断にゆだねる。
まだ冒頭の10数ページしか読んでいないので、内容に関しては読了後にきちんとした書評をこのブログか、あるいはもっとほかの媒体に書く。
ただここではこの本が「文化系女子叢書」の第1弾として出版されたことに注目したい。おそらくは「叢」が当用漢字表から漏れたためだと思うが、戦後は「叢書」に代わって「シリーズ」という、何とも無味乾燥で面白くも何ともない言葉が使われるようになった。しかしこれは堂々と「叢書」と銘打ち、さらには巻末に「『文化系女子叢書』発刊に際して」という一文が寄せられている。これはウェブ上でも読める。
http://scarletletter.sblo.jp/article/4450320.html
オレはこれを、三木清による「読書子に寄す」と読み較べる誘惑に勝てない(「あれは岩波茂雄が書いたのではないか」と思う向きは、自分で調べよう)。
「読書子に寄す」が書かれたのは、日本が約15年にもわたる戦争に足を踏み入れる4年前、まだみなが「文化」や「教養」にオプティミスティックな憧れと期待を抱いていた時代だ。「生命ある不朽の書を少数者の書斎や研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう」といった一節からは、そのような時代ならではの高揚が伝わる。
しからば「『文化系女子叢書』発刊に際して」はどうであろう。ウーマンリブの闘志からカリスマ的な人気を誇った女性シンガーのアルバムタイトル(はたまたその元ネタになったグラスゴー出身の精神科医の著作か)、さらにはオレには出典を知る手掛かりがまったくない文章までもがあてどなくコラージュされ、「文化」や「女子」を称揚しようとしつつも挫折し、その矛盾と混乱を書き手みずからが理解しているのが伝わるこの文章は、平成も来年で20年になろうとし、知の流通のためのさまざまな組織や制度が疲弊・崩壊・変容しつつあり、「ただ『教養』としたいところ」だった書物のタイトルが『グロテスクな教養』として出版される2000年代後半の文化状況を見事に伝えているではないか。かかる志を持たないものに、「叢書」と名乗る資格はない。
なお「読書子に寄す」から「『文化系女子叢書』発刊に際して」にいたるまで、日本人男性の平均寿命とほぼ同じ年月が流れている。