師弟関係の変容

NHK教育ETV特集菊地成孔マイルス・デイヴィスを語るという、オレを狙い撃ちにしているとかしか思えない番組をやっていたので観てしまう。これまでどんな解説書や入門書を読んでも理解できなかったモード・ジャズの革新性がようやく判る。このひとはやはり説明上手だ。東大での講義が人気を呼ぶのもむべなるかな。
そしてマイルスの生涯をたどりながら、ジャズには辛うじて残っていたのにロックからは失われたのは直接的な師弟関係かもな、と思う。たとえばマイルスはチャーリー・パーカーに会うのが目的でセントルイスからニューヨークにわたり、ミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせた。そしてパーカーのもとを離れてみずからが「帝王」となったあとは、チック・コリアハービー・ハンコックといった後進に積極的に活躍の場を与えた。
こうした「直接的な師弟関係」は、ロックにはあるのだろうか。たとえば「ビートルズに影響を受けた」「YMOに影響を受けた」と称するミュージシャンは山のようにいる。しかし彼らはじかにジョージ・ハリスンからギターの奏法を学んだり、坂本龍一から編曲のテクニックを教わったわけではないだろう。あくまでもレコードや雑誌、テレビといったメディアを通じて彼らの作品や音楽観を知ったにすぎない。いや、この論法は少し転倒しているか。そもそも複製技術が発達していなかった時代は、本人に会いに行かなければ薫陶を受けられなかったわけで、複製技術時代だからこそ可能になったロックというジャンルでは、こうしたimmediateではない(メディアを介さない)師弟関係のほうが「自然」なのかもしれない。反対にクラシックでは「直接的な師弟関係」が多いのも、そうでもしなければ誰からも何も教われない時代が長く続いたからだ。
そしてオレが不思議に感じるのは、オープンソース系のプログラマのコミュニティではかえって前近代的な師弟関係が復活していることだ。少なくとも外部からはそのように見える。彼らはいつも「すでに高い技術力を身に着けている人間が、まだその域に達していない人間をどう導いていくか」という問題に取り組んでいる(繰り返すが、オレからはそのように見えるのだ)。だからこそ自己啓発的な言説にころりと騙されるのかもしれないが、これはまた別の問題だろう。
と、ここまで書いてきたところで、四方田犬彦の「先生とわたし」が単行本化されるのを知った。慶事なり。

先生とわたし

先生とわたし

なぜオレが前近代的な師弟関係がどうのこうのという問題を考えるようになったかといえば、ひとえにこの長篇評論を読んだからである。というわけで、残念ながら雑誌を買い損ねたひとはみな買うように。
なおオレはいま、くだんの番組がきっかけで"Kind of Blue"が無性に聴き返したくなったのに、CDが探し出せないので、代わりにiTunesリッピングしてあった"On The Corner"を聴いている。「ぜんぜん方向性が違うアルバムじゃねーか」と突っ込まれても困る。
Kind of Blue

Kind of Blue

ON THE CORNER

ON THE CORNER