犯罪のディスクール・断章の続き

本当は昨日のうちに書いておきたかったのだが、長文になりそうだったので後回しにしたことを書く。「犯罪と報道」でオレの印象に残っているのは三島事件だ。この事件について筒井康隆(だったと思う)が、「『三島由紀夫自殺』と報道するのはおかしい。『三島由紀夫氏』と敬称を付けないのは、報道機関が彼を犯罪者だと見做しているからだろう。それならば本名の『平岡公威』で報道すべきではないか」といった趣旨のエッセイを書いていた。これには何だか納得してしまった。ところでこういう場合は「被疑者死亡のまま送検」されることが多いが、三島事件ではどうだったのだろう。あまりにも異例すぎる事件のため、警察も扱いかねたのではあるまいか。そもそも三島というか平岡のやったことはどのような「犯罪」になるのだろうか(たまに「三島由紀夫自衛隊に乱入した」と書かれているが、きちんとアポイントを取った上で総監に会っているのだから、「乱入」ではない)。
話は少しずれるが、オレは大学生のとき、大学図書館にこもってむかしの新聞の縮刷版を読むのを趣味にしていた。著名人の死や「昭和の大事件」がリアルタイムではどのように報道されていたのか、興味があったのだ。結果として判ったのは「むかしの新聞は犯罪者(もしくは容疑者)について、けっこう辛辣なことを書いていたのだなあ」ということ。たとえば三島事件なら、「楯の会」の制服が短足の三島に似合うようにデザインされていたこと、あるいは連合赤軍事件なら、永田洋子が決して美人とはいえない顔立ちをしていたことが、いささかの皮肉を込めて語られている。少なくとも1970年代前半の朝日新聞の「人権意識」はこのくらいのものだったのだ。
だからといってオレはこれを論拠に、ネット上にごまんと溢れる「アサヒ批判」に加担するつもりはない。オレが朝日新聞の縮刷版を調べていたのは幼少時から現在にいたるまで実家で購読していた新聞だからであり、それ以上の意味はない。毎日や讀賣の「人権意識」だって、おそらくは似たようなものだったのだろう。誤解を恐れずに言えば新聞の「人権意識」なんて、この程度のほうがある意味では(ある意味では、にすぎないが)面白くないだろうか。