犯罪のディスクール・断章

日本語版Wikipediaで「山口二矢」を検索しようとすると、なぜかWikipedia - 浅沼稲次郎暗殺事件にリダイレクトされる。事件を起こした当時、山口二矢は17歳だったわけで、「未成年の犯罪者の実名を独立した項目にするのはよくない」というWikipedia運営者の判断があったのだろうか。当時の少年法がどういったものだったのか判らないが、彼の名が広く知られているのはたしかなのであって、いまさらこのような措置をとってもあまり意味がないのでは、と思える(まったく異なる理由からリダイレクトするようにしたのかもしれないが)。
ところでたとえば長崎市長(当時)を射殺したのがやはり17歳の少年であったら、やはりマスコミは実名報道を自粛しただろうか。オレは基本的に現行の少年法は守られるべき(実名報道はすべきではない)と思っているのだが、被害者が「要人」であり、かつ加害者が確固たる思想信条のもとにおこなった場合はどうか、と言われると、どうにも口ごもる。
なおこの事件を描いたノンフィクションといえば、何といっても沢木耕太郎『テロルの決算』(ISBN:4167209047)が代表作だが(というか、これ以外に「これ」といったものがない)、オレは山口二矢よりも浅沼稲次郎よりも、山口少年の父親である山口晋平(彼は何と旧制高校時代に、大岡昇平、富永次郎、古谷綱武の同級生であった)に興味を持った。彼も上の記事でとりあげた孫Ruiと同じように感情表現が苦手で、かつ常識的には「理」よりも「情」を重んじる局面でも「理」を優先させたためにマスコミから奇人扱いされた人物で(はっきり言えば、政治犯である息子のほうが性格的には「フツー」である)、そんなところがちょっと自分と似ている。
なお右翼系のサイトを見ると山口二矢の父親が自衛官であるのを強調する記述が見受けられるが、『テロルの決算』を読めば判るように彼は「デモシカ教師」ならぬ「デモシカ自衛官」であって、あまり過剰な意味付けは避けたほうがほうがいいように思う。と、ここで書いたところで、「右翼系のサイト」に言葉が届くはずもないのだけれども。