従軍慰安婦とわたくし

オレが「従軍慰安婦」という言葉を知ったのは小学校の5年生か6年生のとき、すなわち1981年か1982年だ。おぼろげな記憶を頼りにネットで検索したところ、千田夏光従軍慰安婦・慶子』(ISBN:433402453X)の広告を見たのがきっかけだと確認できた(どうやらこの本によって、「従軍慰安婦」という言葉が人口に膾炙したようだ)。すると1981年か。性に関する正確な知識は皆無に近かったオレは、果たして戦場で女性がどのように兵士を「慰安」するのかまるで見当が付かず、「このひとたちは舞台の上で小唄を歌い、いくよ・くるよのような漫才を繰り広げて、兵隊さんを楽しませていたのだろう」と、やたらと牧歌的な光景を想像した。「そんなものではない」と知ったのは、高校生か大学生になってからだ。
これだけだといささか不謹慎な懐旧談にしかならないので、文学的な知識を加味すれば(それが逆効果になるかもしれないが)、大岡昇平「演芸大会」(『俘虜記』所収)には「慰安婦にすら快楽を与えたと自称する或る見事な男根の持主」が登場する。わざわざこんなことを自称する人間がいるということは、多くの慰安婦にとってみずからに与えられた「仕事」が苦痛でしかなかったのを逆照射してはいまいか。強制だったかどうかはともかく、これだけでも従軍慰安婦は褒められた制度ではないだろう。
しかしオレが戦場に駆り出され、目の前に「政府公認」の慰安施設があったら、果たしてどのように振る舞うだろうか。この点に関しては、何とも答えようがない。自分があまり倫理的な人間ではないのは、よく判っているからだ。