いじめの二次被害

昨日は書くのをためらったことを書く。
オレははてなブックマークを大いに活用しており、便利で有益なウェブサービスだと思っている。ゆえに「はてブ衆愚論」のような記事(こういう記事にかぎって「人気エントリー」になるのが不思議な現象ではあるのだが、これはまた別の話)に出喰わすと、わがことのように腹を立てるのだが、しかしやはり「はてブ衆愚論」に同意したくなることがある。最近であれば、こうした反応だ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/national/update/0608/TKY200706070557.html
ここでは「ネットに軽い気持ちで投稿することの危険性を呼びかける」という学校側のコメントが、あたかもネット社会に対する無知を示す具体例であるかのように嘲笑されている。
たしかにいじめの被害は深刻な問題だ。しかしそうした動画がネット上にアップロードされることによる二次被害は、さらに深刻だとオレは考える。ほんの一瞬でもネット上に公開された動画がほとんど回収不能になることは、「衆愚」でもよく理解していることであろう。
高校生が動画を簡単に録画できる機器を携帯し、しかもそれがインターネットにダイレクトにアクセスできる状況は、10年前には考えられなかったことだ。こうした状況に対して学校側がたとえネット社会に無知だとしても真摯に取り組もうとしているのは、むしろ賞賛にあたいする姿勢ではなかろうか。
少し考えてみよう。人間は過去に体験した「辛い想い出」や「嫌な想い出」をほどよく美化したり風化させたりすることによって、成長できる機会を得られる(単なる自己正当化は論外だが)。しかし「嫌な想い出」が半永久的にネット上に保存されるとしたらどうか。たとえば被害者の少年が成人して、「あれはあれでいい経験だった」と思えるようになったとき、ネットで検索していてたまたま当時の動画を見せられる機会があったらどうか。「ほどよく美化された」はずの記憶が生々しく蘇えり、もとの時点に引き戻されるのではないだろうか。みなはそうは思わないのだろうか。
だからこそ「ネットに軽い気持ちで投稿することの危険性を呼びかける」のは大切なのではないか。オレみたいに短絡的な人間は「きちんとした価値観が形成されるまで、ネットは情報収集の手段としてのみ使い、自己表現の手段としては利用するな」という、実効性の薄いことしか言えない。しかし「すれっからし」を自称するインターネット利用者は、もっと真面目にこうした事態と向き合うべきではないか。そうでなければ、「むかしからインターネットを利用していた層(おもにパソコンからインターネットにアクセスする層」と「最近になってからインターネットを利用するようになった層(おもに携帯電話からインターネットにアクセスする層」のあいだでおかしな格差が広がってしまい、事態は悪化する一方ではないのだろうか。