だいがくいんのきょうふ

唐突に書きたくなったので、大学院生時代の思い出を書く。「唐突に書きたくなった」以上のきっかけはない。
オレが通っていた大学院である日、OBやOGをまじえたパーティーが開かれた。おたがいに初対面の者が多いパーティーのつねとして、簡単な自己紹介と近況報告がはじまった。そのなかでひとりの女性が、子供向けの絵本か何かを翻訳したことと、その訳書がちょっとしたベストセラーになったことを伝えた。その時点では周囲の者は彼女の業績を称えたが、彼女がパーティーを中座して帰宅したあと、場は「糾弾大会」と呼びたくなるような雰囲気に変容した。決してアカデミックではない書物を訳したこと、それがベストセラーになったこと、しかもそれを自慢げに(オレにはそう感じられなかったが)語ったことが、嫉妬と怨嗟の対象になったのだ。彼女がどのくらいの印税を得たのか、執拗にこだわる者までいた。
いまとなっては「糾弾大会」と化した理由は、判らなくはない。なかなかアカデミック・ポストを得られず、かといって一般読者向けのエッセイや評論で好評を博しているわけでもない状態が続いている者からすれば、彼女の「業績」はひたすら羨ましく、かつ文学研究者としては「邪道」であるように思えたのだろう。しかし文学研究に身を捧げている人間が、このような世俗的な嫉妬や怨嗟からさっきまでその場にいた者の悪口で盛り上がってもいいのだろうか、という割り切れない気持ちは残る。文学は「世俗的な嫉妬や怨嗟」を深く掘り下げるものでもあるのだから、彼らの行動はある意味では非常に「文学的」なのかもしれないが。
いずれにしてもこれが「大学院(アカデミックな世界)は怖いところだ」とオレが感じるようになったきっかけであり、またオレが同窓会めいたものにまったく招かれないのも、修士課程修了後の軌跡が特殊すぎるからなのかもしれない。
最後に教訓めいたことを書くと、それまで書いたことがすべて台無しになるのはありがちな話だが、人文系の大学院は「文学への純粋な情熱」だけではやっていける世界でないのは、現役の文学部の学生は肝に銘じておいたほうがいいだろう。