外様の声

オレはSFも推理小説も好きだが、SFファンや推理小説ファン(とりわけ推理小説ファン)が「外様」からの批評を毛嫌いする傾向は好きになれずにいる。少し前に高山宏推理小説に関する評論をまとめた『殺す・集める・読む』(ISBN:4488070477)を出版したとき、ふだんはウェブ上で良心的で冷静なブックレビューを発表して信頼を集めていたひとが、ほとんど悪罵に近いレビューを載せたと記憶する。もちろん高山宏の文体や論旨の運びはかなり異様で、どうしても馴染めないひとはいるだろう。しかし彼の真意を深く読み込もうという努力を欠いたまま、「花の美しさが判らない人間が、自分が愛している花畑を台無しにしやがった」と感情的に憤っているのが、そのレビューからは伝わってきた。また笠井潔法月綸太郎をはじめとするグループが1990年代初頭に柄谷行人を援用した評論を精力的に書いていたが、これもまた「カラタニ系」のような別称(蔑称)を与えられていたと記憶する。
(この辺は自分の記憶だけに頼って書いているので、「それは違うよ」というひとがいたらご指摘ください)
SFや推理小説が「ジャンル小説」であり、だからこそジャンルの外にいる人間が何を言おうが耳を傾けようとしない状況は、オレには悲しく、そして不毛なものだと感じられる。SFも推理小説もすでに「現役」の読者ではなくなったオレだが、状況は改善されつつあるのだろうか。