猛禽どもに気を付けろ!

臨死!! 江古田ちゃん(1) (アフタヌーンKC)

臨死!! 江古田ちゃん(1) (アフタヌーンKC)

臨死!!江古田ちゃん(2) (アフタヌーンKC)

臨死!!江古田ちゃん(2) (アフタヌーンKC)

2巻の前半まで読む。新聞かネットの書評で「中野区江古田に住むフリーターが主人公」と書かれていたが、実際は練馬区江古田駅周辺が舞台。『東京から考える』(ISBN:4140910747)もそうだけど、なぜ知識人やマスコミ関係者でさえ中野区の江古田と練馬区の江古田を取り違えてしまうのか。いや、これは江古田に責任があるのか。江古田分断の悲劇については練馬と江古田の基礎知識に詳しい。
主人公の江古田ちゃん(本名不詳)は「洗濯物が少なくてすむでしょ」という色気もへったくれもない理由で自分のアパートでは全裸で生活している24歳。ヌードモデルにフィリピンパブにカスタマーサポートとまったく脈絡のないアルバイトで生計を立てており、専業主婦なり正社員なりになろうとする意志はほとんど感じられない。セックスフレンドらしい男性は何人かいる(いた)が、「本命」とはなかなか出会えない。こうした生き様がどうしようもなく江古田、あからさまに江古田、いかんともしがたく江古田。『東京から考える』で東浩紀は江古田を「漫画とオタクの街」と定義していたが、オレにとっては「下北沢や西荻窪よりもワンランク下のサブカルの街」。そんなこの街にはきっと「江古田ちゃん」のような女性がたくさんいるのだろう。オレだって江古田に住んでいたころは(この漫画の2巻が雑誌連載されていた時期とオレが江古田に住んでいた時期はほぼ一致する)「男・江古田ちゃん」のような生活を送っていた。作者の瀧波ユカリは1980年生まれの日大芸術学部*1出身で、この作品の連載開始は2005年から。おそらくは「江古田ちゃん」と自分自身をある程度は重ね合わせているのだろう。「大学は出たけれど」あるいは「東京には出たけれど」、「こんなつもりじゃなかった」と思っている地方出身のギョーカイ関係者(およびその予備軍)にとっては何とも身につまされる作品である。
などと書くとひどくシリアスな漫画のように勘違いされそうだが、基本的にはちょっと不条理ギャグ系の四コマ漫画なので、「こんなつもりじゃなかった」読者であれば深いことを考えずに楽しく読めるだろう。「そんなやつに読む資格はない!」とも言いたいんだけれどもね。
あとこの漫画は「猛禽」という概念を発明したことで特筆に値する。「猛禽」とは

  • 聞き上手で
  • ほっとかれてもふくれず
  • 下ネタにも寛容
  • ブサイクにもやさしい

という条件を兼ね備えた清潔感のある美人のことで(ファッションセンスはちょいとコンサバ)、「江古田ちゃん」とは対極の存在として描かれている。猛禽には決して近付くな! 近付いても喰うな! そして喰われるな! 「いいお友達」になんてなるな! 敬さずに遠ざけろ! と、なぜオレはこんなに熱くなっているのだろう。なんか、いろいろな意味で身につまされる漫画なので、冷静に論じられません。

*1:東京の地理に詳しくないひとのために説明すれば、これこそ江古田の「江古田らしさ」を支えている大学である。