もやもや〜

大岡昇平『萌野』、読了。子供の出産を間近に控えたニューヨークに住む長男夫妻を訪れた、1972年4月の12日間を記した紀行文。「萌野」は大岡昇平が帰国してから2週間後に生まれた初孫の名から採られている。子供が生まれたら性別に関係なく「萌野(もや)」と名付けるつもりだとする長男に向かって、「古風な(国語)改革反対論者」である父親が「萌」を「も」と読ませるのはいくら何でも無理があると反論するのが、中心的なエピソードとなっている。蓮實重彦『反=日本語論』(ISBN:4480020438)の「萌野と空蝉」は、大岡昇平が「正しく美しい日本語」ではない「萌野(もや)」を結局は受け入れるまでの過程を緻密に分析しているので、興味があったらそちらを読まれたい。
大岡昇平の紀行文といえば『ザルツブルクの小枝』が名高いが、『ザルツブルク』の13年後に書かれたこの作品は『ザルツブルク』よりもはるかに筆が踊っている。大岡本人の心境の変化もあるだろうし、日本人が海外に行くのが当たり前になった時代の変化もあるのだろう。短い滞在期間を利用してひたすら映画や演劇を積極的に鑑賞し、時事問題にコメントする姿勢は、後年の『成城だより』を思わせる。「ニューヨークは治安が悪い」という風説(風説ではなく、実際にそうだったのだろうが)に必要以上に怯えまくっている大岡昇平が何やら微笑ましい。