いずこにありや、新聞部

夕刻、強い懐旧の念というよりは単なる好奇心から母校の新潟県立巻高等学校を拝みたくなり、JR越後線に飛び乗り巻駅で降りる。平成の大合併により新潟市になったが、往時は西蒲原郡巻町であった。駅前の「シャッター商店街」化、予想以上に激しい。自分がお世話になっていた二軒の書店(もっぱら立ち読みばかりの不良顧客であったが)、いずれも完全に店じまいし、文化系部活動生の溜まり場だった喫茶店は開店休業状態と思しき雰囲気。賑わっているのは駅前のローソンだけとは淋し。巻町、新潟市への対抗意識の強いところなるも(新潟市内より通学せし生徒、「都会人」として教師や「郡」の生徒より差別さる。「市内」の受験生はよほど好成績でないと合格させないとの学校伝説あり)、合併前後より町としてのアイデンティティーを喪失し、新潟市中心部への依存強まれりと推測す。曜日と時間帯のせいもあるが、自分以外に20代から40代の男性をみかけず。
母校にたどりつくも、不審者扱いされるのを恐れて敷地内に入る気になれず。今回の再訪の主たる目的はわが新聞部の部室がどうなかったかを確認することだが、敷地外からはどうしても死角となる。敷地の周辺をうろうろと歩き回っているほうがよほど不審者めいているので、思い切って敷地内に足を踏み入れる。運転免許証と健康保険証を携行しているのだから、いざとなれば昭和64年度の卒業生であるのを証明できる。グラウンドのそばに木造の掘っ立て小屋が二棟あり、そのうちの一棟をわが新聞部が占有し、もう一棟を演劇部や応援団が共有し、本校舎から掘っ立て小屋への渡り廊下にある盲腸めいた小部屋をギター部が利用していたが、いずれもまとめて大きなプレハブ小屋に改装さる。往時の面影なし。プレハブ小屋には複数の部活の部室があると思われるも、確認できたのは吹奏楽部のみ。新聞部のいずこにありや、そもそもまだ存続しているやは判らずじまい。なお自分の在学中は新聞部と文芸部は女性オタク、写真部は男性オタクの拠点なり。男性オタクはもっぱらTRPGに打ち興ず。性的な匂いなし。女性オタクは「やおい」を熱心に創作す。われ女性オタクの拠点と知らず新聞部に入部す。おかげでいろいろな経験をしたがここでは書かず。駅を挟んで向かいにある県立巻総合高等学校(旧巻農業高校および旧巻工業高校が合併)、女子生徒の制服が都会的に垢抜けしているが、わが母校は20年前と変わらず野暮ったい。制服のイメージチェンジごときで女生徒を惹き付けるのは沽券にかかわるとの、伝統校ならではのつまらぬ意地の発露と理解す。
行き帰りの車内で大岡昇平『萌野』を読んでいたため、文体それに似る。