魅力的な二項対立

ほかの本に浮気していたので、読了するのに時間がかかった。「時代小説だって『キャラクター小説』じゃないか」といった細かな疑問は持ったものの、漫画、アニメ、ビデオゲームにもとづいた手法や想像力が浸透したために、旧来のパラダイムではうまく分析できない「文学」が増えた、という大筋の議論は納得できる。
しかし

  1. 「半透明」の言葉が、どんな言葉(文体)なのかが具体的につかめない(第1章)
  2. 環境分析的な読解」が果たしてそれほど劃期的なのか(第2章)

というふたつの大きな疑問が残った。特に2.に関してはテーマ批評とか構造分析とかいろいろあったじゃん、と言いたくなるのだが、東浩紀は「そうした方法論は日本の文芸批評の主流としては定着しなかったので、重視しなかった」と答えるのかもしれない。
それにしても東浩紀は魅力的な二項対立を生み出し(かならずしも彼の独創であるとはかぎらないけど)、それを流通させる力を持っている。コンスタティブとパフォーマティブ規律訓練型権力環境管理型権力、コミュニケーション志向メディアとコンテンツ志向メディア、自然主義的リアリズムとゲーム的リアリズム。こうした図式はつい自分でも使いたくなってしまう誘惑にかられる。いささか口の悪い友人は本書に関して、「判りやすい二項対立を作って流通させるのって、日本の文芸批評家の『伝統芸』だよね」と皮肉な口調で言っていたのだが。