処女幻想?

オレはマスターベーションを除けば性体験と呼べるものをまったく持っていなかったころから、「処女崇拝」「処女幻想」のたぐいが理解できずにいた。いまでも理解できない。石原慎太郎に票を投じる人間よりも理解できない。処女崇拝や処女幻想の源泉を知るには、洋の東西を問わずに美術史、精神史、宗教史などを深く掘り下げる必要があるだろうが、ここではもっとバナールな、「処女じゃない女なんてみんな中古!」と公言してはばからない*1オタクやら非モテやらに分類される現代の日本人男性を念頭に置いている。中古であってもいい品はいい品ではないか、などと書いたら男女双方からの非難を浴びそうだが、しかしこれが本音ではあるのだ。不快に思われたかたがいたら申し訳ない。
それから「童貞男性は自分の性的能力を女性によって評価されるのを恐れている。だからこそ性交の相手として処女を求めるようになる」というのは、どうにも根拠のない俗説に思えてならない。初体験のとき、本当にこんなことを気にする男性がいるだろうか。
なおオレは処女だった女性と性交したことはない。自分に科せられるかもしれない責任の重さに耐えられそうにないからだ。オレの性的な能力はいちぢるしく劣っている。そんな男性がはじめての性交の相手であるのは、女性にとって不幸しかもたらさないはずだ。その意味ではオレもまた「処女幻想」に捉われていることになる。

 性交に関する現代の観念は誇張されている。人は各々その社会的地位と能力が異るように性的能力も異るのだから、各々その能力に従った性生活を営めばいいのであって、エロ小説家の法螺話や、性学者の集めた不正確な証言によって、無駄な望みは起さない方がいいのである。
大岡昇平「演芸大会」

せめてここまで割り切れるようにはなりたいものである。
それにしても、あらためて問いたいが、「処女じゃない女性と性交したくない」と本気で思っている男性がいたら、コメントでもトラックバックでもSBMでもかまわないから、真意を伝えてほしい。

*1:しかしこれもどこまで本気なのやら。