邪心ある読書

由良君美は「ある主題の論文を執筆せんがために、体系的に書物のリストを制作し、それを秩序付けて読み進めるという研究の仕方を認めようとしなかったし、そもそも論文執筆のための労働としての読書という考えを拒否していた」(「先生とわたし」より)そうである。オレは数年ぶりに「変ドラ」にアクセスしたのがきっかけで、自分なりの「変ドラ」を見付けようとして「ドラえもん」を再読したのだが、何も得るところがなかった。「変ドラ」はただの楽しみのために「ドラえもん」を読んでいるときに、ふと見付かるのだろう。「邪心ある読書」から得られるものは乏しい。昨日も書くことになるかもしれない原稿とまったく同じテーマを扱ったテレビ番組を、「何かのヒントになるかも」と思って観たのだが、空振りに終わった。これもまたテレビの制作スタッフのせいではなく(番組そのものの出来栄えは悪くなかった)、オレの邪心のせいだろう。