オレには二重瞼は無用の長物

アトピー性皮膚炎がここ数年間のあいだでは最悪というくらいに悪化したので、ボランティア先(じつは週に2回ほどボランティア活動をしているのだ)を早退して家に戻るも、近所の皮膚科がいずれも「水曜午後休診」だという悲劇。示し合わせているのだろうか。かゆくてたまらない。
それにしてもアトピーのせいで顔がむくんで、一重瞼になったのには驚いた。一重瞼の自分の顔を見るのは生まれて初めてだが、まったく印象が変わるのだね。ただでさえ暗い顔つきが、ますます陰惨になる。女性たちが「プチ整形」にこだわる理由が、これでようやく理解できた。
そして唐突に吉野朔実の『瞳子』(ISBN:4091793711)に、子供のころはアイドル歌手を夢見ており、いまでは恋愛とファッションにしか興味のない一重瞼の姉が、家にこもって小説を読むのとレコードを聴くくらいしか趣味がない二重瞼の妹(こちらが主人公)を、「あんたに二重瞼は必要無い。あんたの生活と性格に、二重瞼は無用の長物。それは私が貰うべきものだった」と罵るシーンがあったのを思い出した。どうでもいいけどこの漫画、いまなら「ニートを描いた作品」という角度で論じられるのだろうか。そこまで軽率な批評家はいないか、さすがに。

追記

あとで調べたら、文庫版『瞳子』(ISBN:4091915388)の解説は明川哲也ドリアン助川)が書いているそうだ。読みたいような、読みたくないような……。
それから『瞳子』をぱらぱら読み返していて、かつての日本(といっても大昔ではない)には「プータロー(プー)」というみやびな俗語があったのを思い出した。プータローには貶下的な意味合いは少なく、むしろユーモラスな雰囲気があったと記憶する。ニート、フリーターが深刻な(本当に深刻なの? という疑問はさておき)社会問題として語られている現代との違いを感じさせるが、個人的な記憶だけに頼って論を進めると「まん延するニセ社会学」として批判されかねないので、この辺で切り上げる。