ネガティブ・キャンペーンです

東京から地方に引っ越して悔しいことのひとつは、今年の3月に公示される東京都知事選に参加できそうにないことだ。誰が立候補するかはいまだに判らないが、とにかく石原慎太郎を落選させることだけを楽しみにしていたのに。
なお石原慎太郎は1975年の都知事選にも立候補し、落選している(当選したのは美濃部亮吉)。この事実は公式サイトなどでは触れられていないようだが、沢木耕太郎『馬車は走る』(ISBN:416720908X)所載の「シジフォスの四十日」は、石原サイドから見た選挙戦を描いている。取材対象に対して安易な価値判断を下さないのが沢木ノンフィクションの魅力だが、石原慎太郎にはどうにも好感を持てなかったようだ。

 新聞のカメラマンが、食事しているところを撮りたいと申し出る。後方のステージから、束の間の休息を取っての食事である。「チェッ、食事くらいひとりで食べさせてくれよ」という気持ちもわからないわけではない。だが、いったんは引き受けているのに、数枚撮られると「もういいだろ!」と険のある声で言うのを聞くと、傍らにいる方がドキッとしてしまう。
 石原には、実に神経質な部分と無神経な部分とが、矛盾なく同居しているらしかった。彼の弁当の食べ方を見ていると、実に細心である。幕の内を広げ、左ききの手で食べ、魚の照り焼きだけ残し、ふたをし、紙をかけて花結びでヒモをかけ直す。そしてゴミ箱に棄てる。
 だが、この細心さが人と対応するときに発揮されない。とりわけ、不潔であったり無能そうであったりする者に対しては、苛烈と思える言動をとることがある。まさにこのような人々にこそ優しさは必要なはずだったのだが……。

 ある日、石原と参謀グループがステーキを食べに行った。飛び石づたいに離れて向かう庭で、石原とボーイがハチ合わせしてしまった。二人は一瞬、棒立ちになったが、どちらも譲ろうとしない。石原が言った。
「おまえ、ボーイだろ、どけよ!」
 理は石原にあったかもしれない。だが、その時のボーイの眼に浮かんだ憎悪には、かなり激しいものがあった、という。

なお「神経質な部分と無神経な部分とが、矛盾なく同居している」さまを実感したければ、都庁の公式サイトにある記者会見のコーナーをお薦めしたい。都合の悪い質問をされて急にむきになるところなどは必見である。