犯罪のディスクール

犯罪不安社会 誰もが「不審者」? (光文社新書)

犯罪不安社会 誰もが「不審者」? (光文社新書)

「日本の治安は悪くなっている」という俗説の誤りを、データ分析(浜井浩一が担当した第1章と第4章)と言説分析(芹沢一也が担当した第2章と第3章)の両面から解き明かした1冊。酒鬼薔薇事件以降、犯罪報道が「加害者を理解すること」から「被害者に共感すること」へシフトすると指摘しつつ、特異な犯罪者を時代の象徴であるかのように捉える有識者のコメントを「たんなる『おしゃべり』の域を越えていない」(この文句はあとがきより)と批判する第2章にしてやられる。ぎゃふん。オレは別に有識者ではないが、犯罪者をめぐる空虚な「おしゃべり」に興じていた点では変わりはない。
それよりも何よりも第4章である。ちょっと感じの悪い言葉を使うなら、いまの日本の刑務所が社会的弱者の「姥捨山」になりつつある現状は、読んでいて暗澹たる気持ちになる。これに較べれば花輪和一の『刑務所の中』でさえ、牧歌的な世界に思えてくるくらいだ。ハンディキャップがあるがゆえに「まともな」仕事に就けず、生きるために仕方がなく罪を犯し、出所したところで「前科者」という新たなるハンディキャップを負うがゆえに社会復帰はさらに困難になり、またもや刑務所に舞い戻ってくる。いま多くの刑務所が過剰収容になっているのは、凶悪な犯罪者が増えたからではない。こうした刑務所以外に行き場がないひとたちがいるからなのだ。この構造を変え、犯罪者が「再チャレンジ」しやすい環境が実現された国こそ、「美しい国」だと思うのだが、いかがだろう。
と、性懲りもなく「おしゃべり」に打ち興じるオレの愚かさ。