北越戊辰戦争と新潟市

日本史にそれなりに興味のあるひとなら、北越戊辰戦争長岡市が大きな戦場になったことは知っているだろう。しかし新潟市でもそれなりに激しい戦闘があったことはあまり知られていない。オレもつい数年前、新潟市内で小さな慰霊碑をたまたま見付けるまでは、「戊辰戦争は長岡で起こったことで、新潟は関係ない」と思い込んでいた。新潟市の公式サイトでも戊辰戦争に関する説明は、

しかし,開港が実現しないまま幕府は倒れ,慶応4(1868・9月明治改元)年1月,戊辰戦争が始まります。7月,新政府軍は,奥羽越列藩同盟の補給基地になっていた新潟町を制圧し,新潟民政局を設置して直轄地にします。
http://www.city.niigata.niigata.jp/info/rekisi_bunka/his1.htm

と非常にそっけない。これは長岡市の公式サイトが戊辰戦争史跡・城跡という独立したコンテンツを設けているのとは、あまりにも対照的だ。北越戦争 第四章によれば、いまでは同じ新潟市になっている地域でも、沼垂地区は新政府軍の支持者が多く、新潟島は同盟軍よりだったなど、状勢が入り乱れていたようだ。長岡が一致団結して新政府軍と戦ったのに対して、新潟はそうではなかったため、戦いの記憶が美化されずに「黒歴史」化してしまったのだろうか。