フランス的大阪人?

殊能将之の個人サイトより引用する。

 旅行中、大阪にいるんだなあ、と最も感じたのは交差点に警備員が立ってたことだね。
 通行人の前に立ちはだかり、「赤信号になりましたから横断しないでください」「もうすぐ青に変わります。しばらくお待ちください」と信号無視やフライングを牽制していた。信号と待ち時間表示に加えて、これだよ。
 ま、わたしの見聞では、通行人の約半数が信号無視していたから、このくらいやらないとだめなのかな
a day in the life of mercy snow

そういえば名古屋文化圏に生まれ育ち、大学生から社会人1年目までを関西ですごし、それから東京で暮らすようになった知り合いも、「なぜ東京のひとは信号を律儀に守るのか」と呆れていた。よほど自動車の往来が少ないときでなければ、信号はきちんと守るのがこちらとしては当たり前である。呆れられても困る。「交差点に警備員が立って」いる光景など、想像も付かない(オレは生まれてこのかた12時間くらいしか、大阪に滞在したことがない)。大阪では日常的な光景なのだろうか。だとしたら大阪はかなりフランス的な都会だということになる。警備員を持ち出してまで交通整理に乗り出そうとしないのが、日本とフランスの大きな違いだが。

高度に発達したサブカル男子はただのオタクと見分けが付かない

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両親が離婚して、母親とともに札幌から東京に引越すことになった女子高生が主人公。高校を卒業するころにYMOが解散したという設定なので、1982年前後の物語だろう。はじめての東京への期待と落胆。ライブハウスの喧騒。退屈な学園生活。「ギョーカイ」への漠然とした憧れ。巻末に浅田彰との対談が収録されている点も含めて、1970年生まれの地方都市出身者で、ラジオや雑誌を経由してあの時代の雰囲気を漠然と知っている男性読者にとっては、気恥ずかしいやら照れ臭いやら。
ところでこの作品は「CUTiE」1990年12月号から1992年12月号まで連載されている。この時点ですでに1980年代初頭の東京は、ノスタルジーの対象になっていたわけだ。「あー、あのころってこんな感じだったよね」と懐かしむ大学生から、「近接過去」を新鮮な目で眺める中学生まで、年齢によって受け止める印象は多種多様だったのではないか。
さらには2003年に復刊された単行本を読んでいるティーンエイジャーとなると、この漫画の舞台になった時代のさらに10年後に生まれた可能性があるわけで、そうした読者はオレが六〇年安保に関するドキュメンタリーを読むのと同じ感覚で、この漫画を読むのかもしれない。この作品に登場する固有名詞でいまの高校生が註釈なしで理解できるのは、坂本龍一くらいではないのか。近接過去どころか、単純過去である。渋谷系周辺の文化をこうしたノスタルジーと批評精神が入り混じった視点から描いた小説や漫画がそろそろ生まれてもいいはずだが、オレは寡聞にして知らない。みんながクリエイターになりたがって、クリティックが生まれてこないのが、あの時代が与えた悪い影響である。
なお岡崎京子はここで、高度に発達したサブカル男子はただのオタクと見分けが付かないという残酷な事実を突き付けている。しっかりしろ、犬山!