フジ、フジ、フジ!

『バブルへGO!!タイムマシンはドラム式』をテレビで観る。タイムパラドックスものなのに、それらしい考証がネグレクトされており(細田版『時をかける少女』を「矛盾だらけだ」と批判したSFファンは、これを観てどう思うのか)、バブル時代の日本に対する鋭い文明批評を展開することもない、フジテレビによるフジテレビのためのフジテレビの映画であった。35歳以下のひとや、マスコミ関係とは縁のない人生を送ってきたひとは、なぜ都営新宿線曙橋駅でロケをしたのか、理由を理解できないのではないか。広末涼子のご尊顔を拝謁するという目的がなければ、途中でチャンネルを変えていたであろう。

かわいい娘

ところで「娘(mousmé)」という単語は、フランス語として正規に登録されている。嘘だと思ったら、mousmé - Wikipédiaでも読むとよい。というのは不親切すぎるので意訳する*1

「娘」はfille(少女)と意味的に同じ系列に属する日本語の単語である。20世紀の初頭にフランス語となり、とりわけ気さくな少女を指し示している。
「mousmé」(1909年)はアーサー・ウィンペリスとパーシー・グリーンバーグの脚本にもとづき、ライオネル・モンクトンとハワード・タルボットが作曲したオペラの題名である*2
マルセル・プルーストは『ゲルマントの方へ』で、この言葉について次のように説明している。「ピエール・ロティが、この言葉をフランスに輸入した。これは幼い少女か、非常に若い女性を意味する。これはニッポン語でもっとも美しい言葉のひとつである。この言葉は膨れっ面で(彼女がそうしているように、小さく愛らしく滑稽な膨れっ面だ)、とりわけ若い女性の顔(彼女のように愛嬌のある笑顔だ)を感じさせる。同じ意味のフランス語を知らなかったら、私はこの言葉をよく使うだろう。

なお四方田犬彦は『「かわいい」論』で、日本語の「かわいい」に相当する形容詞がフランス語にはないため、ロラン・バルトは『神話作用』でグレタ・ガルボオードリー・ヘップバーンから受ける印象の違いを分析するのに、ややこしい言い廻しを用いらざるをえなかったのではないかと推測している(「端的にヘップバーンは『かわいい』、ガルボは『美しい』と書けばよかったのである」)。
と、ここまで遠回りして話は広末涼子に戻る。リュック・ベッソンは"WASABI"をプロデュースするさい、フランスの美的イデオロギーのなかには存在しない(それゆえにエキゾティックな興味を掻き立てる)「かわいい娘」の幻影を彼女に見出し、そのために起用したのではないだろうか。

「かわいい」論 (ちくま新書)

「かわいい」論 (ちくま新書)

WASABI [DVD]

WASABI [DVD]

*1:いくつか誤訳があったので、1月21日に一部訂正。

*2:この段落の固有名詞の表記はわりといい加減。