繰り返されるオタク批判の諸行無常

とり・みき『愛のさかあがり 天の巻』(ISBN:4048520822)より引用する。ちなみに出版されたのはいまから20年前の1987年、すなわち連続幼女殺人事件によって「オタク(おたく)」がメジャーな言葉になる2年前でもある。

 オタク差別というのももう流行らなくなってしまった。オタクの人って実は同じ年頃のフツーの人と比べたらもう比べ物にならないくらい本読んでるし、最先端の科学技術とかにも詳しいし、コンピューターはいじれるし、はっきりいって頭いいんだよね。オタク族を毛嫌いしているようなテクノ少年やニューアカ少女がこぞって読むような雑誌や難解本も編集部をのぞいてみると実はそういうオタクっぽい人達が作ってたりする事が多い。(そして「ニューアカ少女のシンボル的な存在である」坂本龍一が「オネアミスの翼」の音楽を担当したのは)〝オタク族の逆襲〟って感じでなかなか面白かった。
 オタク族を憎む人ってのは、つまり自分が持っているオタク的部分を彼らが拡大して見せているから憎む訳でこういうのは心理学の基礎だ。〝小さな違いのナルチシズム〟(フロイト)というやつ。だから積極的にオタク差別をしてる人ってのは、実はオタクに最も近い所にいる人物なのですね。しかし、それにしても汗臭かったりTシャツをはみ出させたりするのはもう少し何とかしてほしいと思う。

オタク批判も「オタク批判」批判も20年前から構造が変わっていないことに、感心したり、うんざりしたり。とりわけオタクを擁護しておきながら、最後の最後になってオタクのファッションセンスにちくりと釘を刺すところなんかね。そしてこの記事のタイトルに向井秀徳の歌詞を紛れ込ませるオレもまた。

お嬢様はキャバクラ嬢

久米田康治が青年誌に連載した、いまのところ唯一の作品。連載時期は1993年から1994年まで。入手困難かと思いきや、アマゾン・マーケットプレイスで簡単に手に入って拍子抜けする。キャバクラで働いている美人予備校生という何だかよく判らない設定と、その設定が連載が続くにつれて少しずつ無意味になってしまう展開はいかにも久米田康治だが、『かってに改蔵』や『さよなら絶望先生』とはやはりテイストが違う。『改蔵』連載中に久米田康治に起こった作画や作風の変化は、現代の漫画を考える上で重要なテーマだろう。そのためには『改蔵』以前の久米田作品を読み込む必要がある。あとは『行け!!南国アイスホッケー部』と『太陽の戦士ポカポカ』だけだが、いまから買い揃えられるかどうか。