繰り返されるオタク批判の諸行無常

とり・みき『愛のさかあがり 天の巻』(ISBN:4048520822)より引用する。ちなみに出版されたのはいまから20年前の1987年、すなわち連続幼女殺人事件によって「オタク(おたく)」がメジャーな言葉になる2年前でもある。

 オタク差別というのももう流行らなくなってしまった。オタクの人って実は同じ年頃のフツーの人と比べたらもう比べ物にならないくらい本読んでるし、最先端の科学技術とかにも詳しいし、コンピューターはいじれるし、はっきりいって頭いいんだよね。オタク族を毛嫌いしているようなテクノ少年やニューアカ少女がこぞって読むような雑誌や難解本も編集部をのぞいてみると実はそういうオタクっぽい人達が作ってたりする事が多い。(そして「ニューアカ少女のシンボル的な存在である」坂本龍一が「オネアミスの翼」の音楽を担当したのは)〝オタク族の逆襲〟って感じでなかなか面白かった。
 オタク族を憎む人ってのは、つまり自分が持っているオタク的部分を彼らが拡大して見せているから憎む訳でこういうのは心理学の基礎だ。〝小さな違いのナルチシズム〟(フロイト)というやつ。だから積極的にオタク差別をしてる人ってのは、実はオタクに最も近い所にいる人物なのですね。しかし、それにしても汗臭かったりTシャツをはみ出させたりするのはもう少し何とかしてほしいと思う。

オタク批判も「オタク批判」批判も20年前から構造が変わっていないことに、感心したり、うんざりしたり。とりわけオタクを擁護しておきながら、最後の最後になってオタクのファッションセンスにちくりと釘を刺すところなんかね。そしてこの記事のタイトルに向井秀徳の歌詞を紛れ込ませるオレもまた。