短絡はいかんよ

前半の3分の2は献本直後に読んでいたのだが、その後は何となく中断していた。ライトノベルを毛嫌いしているひとへの入門書としては、過不足ない内容。ただしライトノベルしか読まない読者がこの本の議論をコンスタティブに受け止めて、「ライトノベル以前の小説は時代遅れで不完全なのだから、読む必要はない」「あらゆる小説はライトノベル的に再解釈が可能だ」と短絡したら、それはもったいないことだと思う。小説は1作ごとに異なった楽しみかたがあるのだから。それにしても「フィクションへのオブセッション」って、何が正体なんだろうね。

分析哲学には馴染みがない

現代思想の遭難者たち 増補版

現代思想の遭難者たち 増補版

ゼミコンパで「カラオケは音楽じゃないッ 個を圧殺し、盛り上がりを強要する音楽のアウシュヴィッツだ!」と憤るアドルノ教授、「楽しいガッコウからは素直なバカしか育たないッ!」ゆえに「新しいらしい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書は採択すべきではないと主張するニーチェ教育委員、「人の顔見りゃパラダイムパラダイムぬかしやがってー」とちゃぶ台(パラダイム)をひっくり返すクーン博士、いずれも感動的である。

子という立場

毎日かあさん3 背脂編

毎日かあさん3 背脂編

西原理恵子よりもその息子のほうが自分と年齢が近いように感じられる(実際はもちろん違う)のは、オレがいまだに家族内では「子」になったことしかないからか。

知りたいのはそこなのだよ

憲法九条を世界遺産に (集英社新書)

憲法九条を世界遺産に (集英社新書)

180ページ足らずの薄い本だったので、あっという間に読了。中沢新一はともかく、太田光がここまで政治や文学についてあれこれと思い巡らしているとは知らなかった。「いわゆる転向という問題がすごく大きいのはわかるんだけれど、転向の研究をずっとやっている意味はなんだろうと」「難しい専門用語じゃなく、何で転向したの? というシンプルなことを僕は聞きたい。それを生の言葉で語ってほしいんです」という太田の問いに、オレもまた追随したい。転向について事後的・理論的に語ったテクストは多いけど、転向したそのとき何が起こったのかについては、誰もが寡黙だ。1970年以降に生まれた人間にとっていちばん理解しづらい(リアリティーを失った)問題なのだから、もう少し饒舌になってはくれまいか。